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2007年11月11日
LAST CHALLENGE
岡本晃
「1億ドル右腕世界一」の影に、
もうひとつの挑戦の記憶
2007年のメジャーリーグは、松坂大輔と岡島秀樹が所属するレッドソックスの世界一で幕を閉じた。松坂、岡島、岩村明憲、井川慶、桑田真澄|。今年も多くのサムライ達が、世界最高峰の舞台に挑戦するため海を渡った。その一方で、野球への想いを断ち切れず、米独立リーグという日のあたらない場所に活路を求めた元プロ野球選手がいた。07年、ベースボールを駆け抜けた、ひとりの男の挑戦の記憶。(取材・文 岡田弘太郎 Kotaro Okada 写真 新谷信明 Nobuaki Shinya)
特別ノンフィクション
「結果がどうであれ今やれることをやる」
8月26日、ニュージャージー州モントクレア、ヨギベラ・スタジアム。
燦々と照りつける太陽を背に、岡本晃は外野の芝をかみしめるようにダッシュを繰り返していた。
試合開始から2時間前とあって、フィールドにいる選手の数もまばらだ。その後チームメイトらが揃って姿を現す頃には、 岡本はすでにひと通りアップを終えて、クラブハウスに引き上げるところだった。
「調子は? 今日先発だろ?」観客席から関係者が呼びかける。
「背中が痛い。ホテルのベットが合わなくて。投げられないことはないけど少し気になるかな…」と言って、額からしたたる汗を拭った。
最後はアメリカで
今年6月、松坂フィーバーに沸くボストンから北へ40マイル離れたニューハンプシャー州ナシュア市で、34歳右腕は静かに開幕を迎えた。近鉄で先発、抑えとして活躍した岡本のことを覚えている野球ファンも多いのではないだろうか。多彩な変化球を武器に通算39勝28セーブをマーク。オールスターにも2度出場するなど、松坂とはパ・リーグ時代に火花を散らした。そんな岡本も球団合併による若返りの波には勝てず、05年にオリックスから解雇される。そして昨年オランダでプレーした後、今年から米独立リーグ(別項参照)のカナディアン・アメリカンリーグに所属するナシュア・プライドと契約。活躍の場をアメリカに求めた。
「日本では悔いを残したまま終わった。だから最後はアメリカで、という気持ちでした」。かつて1億円を超えた年俸は月給で30万円まで下がり、遠征先でも高級ホテルに宿泊した日本時代から一転、安ホテルの簡易ベットと格闘する日々が続いた。それでも、「今年で野球が終わるかもしれないという覚悟で来ている。メジャーというより、仕事として野球が出来る環境が欲しかった」という岡本が、海外に挑戦の場を求めたのは自然な流れだったのかもしれない。
球団の期待
そんな日本人右腕を球団は歓迎。「Dice - K」という愛称でメジャーデビューした松坂に対抗し、「A - OK」というニックネームがつけられた。また、球団の企画である「勝ち星を松坂と競う」という賭けが注目された時期もあったが、シーズンが進むに連れて沈静化。それは岡本が単なる話題作りではなく、戦力として必要不可欠な存在になった証明でもあった。気がつけば、開幕から約3カ月の時点で8勝2敗をマークし、昨年5位(8チーム中)の弱小球団をプレーオフにまで引き上げる原動力となっていた。「独立からメジャー」へ
開幕前、仕事としての野球を強調していた岡本だが、シーズンが進むにつれてある目標が現実味を帯びてくる。それは、『独立リーグからのメジャーリーグ入り』だ。日本人選手のメジャー挑戦が当たり前になっている昨今でも、米野球の底辺、独立リーグからのメジャー入りは高き壁。独立リーグのレベルは2A程度だが、元メジャーリーガーやマイナーリーグをクビになった選手が“セカンドチャンス”を求めて凌ぎを削る。注目選手がいる試合にはメジャーのスカウトが訪れ、戦力になると判断されれば即契約に至る。好成績を残して注目され始めた岡本にその話を向けると、「(日本のプロ経験者で)独立からメジャーに行った選手はいないので、自分がという気持ちはあります。ただ、遠いですね! かなり遠い…。家族がいなければ、体がつぶれるまで挑戦したいけど…」と、夢と現実の狭間で揺れる心境を吐露した。そして迎えた、シーズンも残り1週間となった8月26日、プレーオフを争うニュージャージー・ジャッカルズ戦に先発した岡本は、背中の痛みに耐えて好投、チームを勝利に導いた。試合後、岡本に「監督が『一番頼りになる存在だ』と言っていましたよ」と伝えると、「いや〜、もういっぱいいっぱいです(笑)。でも最後なんで、全力で、人生の終わりだと思って投げてます」という言葉が返ってきた。その表情は、何かが吹っ切れたかのように清々しかった。
その後も岡本は活躍を続け、チームの優勝に貢献したが、結局メジャーから声がかかることはなかった。マイナー事情に詳しい関係者は「今までの選手の中で一番可能性があった。ただ彼のようにキャリアがあって、余力を残した元プロ選手が独立リーグに挑戦した例がなかったというのが理由なのかもしれない」と説明する。
確かに、岡本のように第一線で活躍した選手が家族を残し、薄給で何の保証もない独立リーグに挑戦するのは簡単な事ではない。それだけに、彼が踏み出した一歩は、これまでの挑戦者の歩幅を大きく超えるものとなったに違いない。「とりあえずやってみただけでも満足してます。日本では野球を諦めて、苦しんでいる人をいっぱい見てきた。悔いを残さない為にも来て良かったと思う」と振り返った岡本は、シーズン終了とともに引退を決意。後に続く者たちに【勇気】という道を残して、元1億円右腕の挑戦は幕を閉じた。
残した夢
黒田博樹、小林雅英…。11月を迎え、次なるメジャー挑戦者の名前が紙面を賑わし始めた。それと同じく、日のあたらない場所での挑戦も続いていくだろう。岡本が残した夢とともに。
「毎日、今この時間が大切。生きてる時間を大切に、結果がどうであれ、今やれることを一生懸命やる」 _ 岡本晃

