Vol.38 俳優 仲代達矢さん

 クイーンズ区の「ミュージアム・オブ・ザ・ムービング・イメージ」で5月15日~24日まで、「国際交流基金」と同館の共催により、小林正樹監督・仲代達矢さん出演の作品が連続上映された。日本映画史を代表する黄金コンビの一つ「小林×仲代」の作品をニューヨークの大画面で見ようと、会場は連日満席に。最終日、「原作、脚本、監督、演出、カメラ、役者まですべてが良かった」と語るほど思い入れのある作品のひとつだという『切腹(1962年)』の上映前に、仲代さんにお話をうかがった。

 

<プロフィール>
仲代 達矢(なかだい たつや、1932年12月13日生まれ)
日本の俳優。『人間の條件』『切腹』など小林正樹監督とのコンビは日本映画界に大きな影響を与え、また『影武者』や『乱』など黒澤明監督作品に多く出演した俳優として知られる。ブルーリボン賞主演男優賞、キネマ旬報主演男優賞など国内で数々の賞を受賞する他、出演した映画が米国アカデミー賞と世界三大映画祭のすべてで賞を受賞するなど、海外での評価も高く、戦後の日本を代表する俳優の1人。劇団出身であり、現在も舞台に立つ。若手俳優のための養成所『無名塾』を主宰する。

 

―本日はお忙しい中ありがとうございます。連日満席ですね。

 今年は私の恩師である小林正樹監督の生誕100年で呼んでいただいたわけですが、そういった催しが無くてもここ数年ニューヨークに来て芝居を見たりしています。私はニューヨークが大好きで、もちろんブロードウェーがあるのでそのお芝居を見に来ることが多いのですが、これからも生きていたら毎年来たいと思っています(笑)。
―タイムズスクエアの人ごみもお好きだそうですね。

 そうですね。例えば毎日のようにタイムズスクエアの雑踏の中に入り込むわけですけど、ああいうのが好きなんですよ。人種のるつぼじゃないですか、ニューヨークはね。だからそういう意味ではスイスとか静かなところへ行くよりいい。それで何しろ、ブロードウェーに30以上も劇場があるわけです。非常に新鮮な感覚を持って毎回日本へ帰って、また来年も来ようと、そういう風に思っているんです。

―渡辺謙さん主演の『王様と私』はいかがでしたか?

 今回見たブロードウェーミュージカルの中で一番良かったのは『王様と私』で、渡辺謙さんが王様の役で実に見事に演じているのが、今回来たなかで一番の感動ですね。僕を含めて、日本人の俳優が昔から長い間夢として、ブロードウェーに出てみたいなと(思ってきました)。しかし言葉の問題もあり実に不可能だろうと言われた夢を、彼は現実にやってみせたわけです。英語を喋り、踊りを踊り、歌を歌い、堂々と演じていました。だから、謙さんの楽屋に行って握手をしました。

―いろんな人種が集まるところで日本人として、とても嬉しいですね。

 日本人があれをやっているっていうのは、特に日本の役者としては本当に嬉しかったですね。…最後まで体には気を付けてやれよ、と別れてきましたけど。

―舞台も映画も、体力のいる仕事ですものね。

 もし私にあの役をやらないかと来たら、まず断るでしょうね。とてもできません、と(笑)。それだけすごいことなんです。だから、日本人(の役者)はみんな見に来いって言いたいですね。

『切腹』上映後のトークにて、「多分4カ月くらいは正座していたかな(笑)」と撮影の裏話を語る仲代さん

―仲代さんですら断りたくなるほど責任感やプレッシャーが大きいということですね。

 われわれ、日本で舞台をやるにしても初日はすごく緊張してプレッシャーがありますからね。それをここへ来てやるっていうのはすごいですよ、本当に。

―やはり60年以上も舞台や映画の仕事をされていても、いつも初日は緊張するものですか?

 いくら稽古しても初日というのは初めてお客さんと対面するわけですよ。お客さんの反応はどうかっていう神経が猛烈に働きますから。かつて、日本の名女優であった山田五十鈴(いすず)さんという方が、この人は初日を前にすると、「劇場が焼けないかな」と思ったらしいですよ(笑)。われわれも平気な顔をしているようですけれど、失敗することもあるわけで。〝生身恥さらし〟みたいなもんですよ(笑)。だから一年に1本(芝居を)やらないといけないですね。舞台感覚っていうものはもちろん、カメラの前でも額縁舞台の前でも同じですけど、楽にやっているように見えるかもしれないですけれど、役者ってどこか恥さらしな商売で、どうしてみんな俳優になりたいんだろうって思いますけどね(笑)。

「新しすぎてけなされる作品もありますし、だから作品においてあまり時間と空間っていうのは関係無いような気がしますけどね」

―海外の人にも、こうして日本の昔の作品を楽しんでいただけるというのは、演じ手として嬉しいことですね。

 そうですね。映画芸術であったり演劇芸術であったり、それは世界共通のものじゃないでしょうかね。例えば今日上映する『切腹』という映画は私が29歳の時に撮った作品ですが、当時こんなにすごい作品に突き当たっちゃって、これ以上のものは無いだろうなんてその時に思ったわけですから。それから何十年経って、もし今見たお客さんが共感してくれたら、われわれのやっている仕事は素晴らしいなと思うんですよね。映画の経過の中で先を見通しすぎて失敗するとかね、10年後にやっと分かるっていうものもありますからね。〝時空を超えて〟っていうのは、われわれの商売ですね。
 きっとお客さんにうけるだろうと思っても、受け入れてくれないものもありますし。だから結局お客さんって〝魔物〟なんです。まあしょうがないですけどね。自分がこういうのを作りたいと思って批評されたり、あまり効果が無かったりするのはしょうがないと思う。作りたいものを、お客さんが「よし」って受け入れた場合が一番楽しいんでしょうね。

―作り手として常に観察と挑戦は必要なんですね。

 そうですね。ただやっぱり演劇に関しては、特にアメリカには役者の技術という面ではかなわないなと。やっぱりすごいですよ、こっちの役者の芸っていうものは。競争率が激しいですし。昨日も(ミュージカルを)2本見たんですが、やっぱりライブはいいなと思いますね。『ファン・ホーム』と『ネイキッド』を見ました。

―オフブロードウェーのユニークな作品もご覧になるのですね。

 見ますね。どちらも同性愛というテーマで、『ファン・ホーム』はシリアス、『ネイキッド』はコミカルにギャグで見せる手段。『オン・ザ・タウン』っていうのも久しぶりに見て、あれも面白いよね。

―とてもおしゃれで個性的な格好をされていますね。身長が高いからお似合いです。仲代さんは同じ世代の方と比べると大柄なほうですか?

 そうですね。私が俳優学校の試験に受かった時、せりふもガタガタ震えて膝もカクカクしていて、それでも入れたんです。俳優座っていう新劇団にいたんですけど、「今年はでかいのをとろう」って。だからテストなんかどうでもよくて(笑)。177センチくらいありましたから、そのころの劇団はでかいのばっかりでしたよ。 

―映画に衝撃を受けたのは中学生のころだそうですね。

 アメリカ映画はすごく見ましたね。それまでは(戦争で日本と)戦っていたわけですけど。ジョン・ウェインさんとかゲイリー・クーパーさんとかヘンリー・フォンダさんとか、一番影響受けたのは『波止場』のマーロン・ブランドさんですね。私の最初の映画はマーロン・ブランドさんのイメージをマネしていたような気がしますね。

和洋折衷を着こなすおしゃれな仲代さん。「東京にも出店した、京都の着物屋さんのものですよ」

―最近ではアジア諸国から大きな作品が出ていますが、アジアの映画もよくご覧になりますか?

 そうですね。ただ最近の日本映画はかつての勢いが無くなっているんですよね。どうやったら復活できるのか。アメリカも描きたいものというより、(CGなどの多用で)人間がいなくてもいいような風になっているとは思いますけれども、アメリカは世界配給でしょ。日本は黒澤明監督とかも認められているけれど、世界配給までいきませんからね。それはやっぱりアメリカにはかなわないと僕は思いますけれども。他のアジアも含めて日本独特なものを…お互い個性を競って映画にしても演劇にしても、日本はこうだ、アジアの国もわれらはこう作るんだっていう個性を強く持っていたほうが良いと思うんですよね。

―映画や演劇の世界の話だけではなさそうですね。

 若い役者たちは戦争体験が無いんだな。日本は原爆を2発落とされましたよ。けどアメリカの友達に言うと「君たちが最初に真珠湾を攻撃したじゃないか」って言われるんですよね。言われればそうなんだよね。困っちゃうよね。今は政治でやたら「抑止力」っていう言葉を使うけど、アメリカに守ってもらっているというのは本当かね(笑)。私らの世代は戦争を経験しているもんだから疑い深いんですよ。

―体験していない世代としては、想像できるようでできなかったり…

 だってやり返すから戦争になるわけで、とりあえず許しておけば良いんですよ。だからガンジーなんて偉かったなと思いますよ。僕はもうこの世界からおさらばな世代なんで(笑)、(もし戦争になって)困るのは若い人たちですよ。国を守るために戦争は当然だろうっていうのは大間違いだね。
 だからわれわれの商売はエンターテイメントは当然必要なんですけれども、やっぱり戦争っていう問題も根底に置いて。『切腹』という作品は、武家社会や侍というものは世界的にすごいものだと思われがちですが、非常に封建的で、一人のヒューマニズムにおぼれた人がそれに抵抗していく話ですから。大体、小林正樹という監督はそういう作品をずっと『人間の條件』や『切腹』でいろいろやってきた人で、人間のヒューマニズムを追求した作家ですから。先週やっていただいた『人間の條件』もある意味で反戦劇ですし。
 だから、おもしろいのを作るのは当然なんですが、今の悪い体制に対してどう人間が立ち向かうべきかっていうのが、当然映画においても演劇においても必要なものなんですよ。もちろん娯楽作品も必要でしょうけれど。…でも、役者生活六十数年ですけれども、一人の人間が作品によっていろんな人生を歩んできたことに関しては、「あぁよかったな」と最近思う日々ですね。

―最後に読者にメッセージをお願いします。

 異国で暮らすというのはいろんな大変なことがつきものでしょうけれど、でもいいじゃないですか、ニューヨークに住めるというのは。私は引退したら毎日タイムズスクエアを散歩したいです。これから三味線くらい習ってタイムズスクエアで披露でもしようかな(笑)。