人間国宝の野村万作さんや息子の野村萬斎さん率いる「万作の会」が昨年12月、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校内のシアターとマンハッタン区のジャパン・ソサエティー(JS)で公演を行った。JSでは「盆山」、「奈須与市語」、「悪太郎」の3作品を上演。一座を代表し、自身にとって2年ぶりとなるニューヨーク公演を迎えた萬斎さんに話を伺った。
野村萬斎(のむらまんさい、1966年4月5日生まれ)
狂言師。人間国宝である狂言師の父・二世野村万作に師事し、3歳で初舞台を踏む。狂言の世界にとどまらず、俳優や演出家としても国内外で幅広く活動。出演作にNHK朝の連続テレビ小説「あぐり(1997年)」、映画「陰陽師(2001年)」、「陰陽師Ⅱ(03年)」、「のぼうの城(12年)」などがある。また、伝統芸能と現代劇を織り交ぜるなど、舞台芸術の可能性を追求する傍ら、世田谷パブリックシアターでは芸術監督を務めている。
ー今回のニューヨーク公演におけるお気持ちをお聞かせください。
前回ニューヨークで公演したのが2年前、グッゲンハイム美術館の特設舞台で(美術家)杉本博司さんとのコラボレーションでした。それと、ジャパン・ソサエティーで「マクベス」というシェイクスピア作品をやったのも2年前。今回は古典という、また違ったバリエーションをお見せできるのはうれしいですね。
ー米国の人に「狂言とはこういうもの」と説明するとしたら、どのように表現しますか?
僕はよく「ヒューマン・コメディ」と言います。人間の喜劇であると。たいていの狂言で第一声が「この辺りの者でござる」という言葉から始まります。この辺りの者ですと言うのは、いつの時代でも、それはニューヨークでも同じ。そういう時代や文化も超えて、人間の普遍的な、市勢の人々を描いているんです。ですから、歌舞伎とか能になればヒーローやヒロインがいるけれど、狂言の場合は名もなき普通の人が主役。せりふとしぐさだけのシンプルな演劇である、ということです。
ー主人公が普通の人であるから、誰でも共感して見られるのですね。
そんなに複雑なことを描こうとしているわけではなくて、ちょっと他人をうらやましいなとか、誰しもが思うようなことが引き起こす日常の中の、人の喜劇的な出来事、それはある意味失敗だったりするけれど、それを描くことで皆さん笑い飛ばせる。そういうカタルシス(感情の浄化のようなもの)に通じるのがひとつの狂言の形ですね。
ー海外公演では字幕を付けますが、室町時代の古い日本語の表現など、意味は変わらず伝わりますか?
今回リハーサルでも字幕の打ち合わせをして、文章上の流れと、実際の演技上の解釈とが合うように少しずつ変えていただきました。分かりやすくするために、短くしたいという思いもありましたね。
ーできるだけ伝わりやすい言葉でシンプルに、ですね。
ただ、逆に言うとサブタイトルが付くので、現代語になる。日本人がそのまま聞くと難しい言葉も、英語の分かる日本人はサブタイトルを読むこともあるから、重要ですね。これから(芸術監督を務める)世田谷パブリックシアターでも英語のサブタイトルを常時入れたらどうかといつも話しています。
ー今回の3演目は、どのように選びましたか?
今回は父(野村万作)が全て選びました。最初の「盆山」はすごく短いけれど、昨日(JSの初日)の反応は良かったですね。「盆山が流行っていて、手に入れたい」というのは、ちょっと前の「たまごっち」ってありましたよね。ああいう風に流行りものって手に入れたいと思ってもなかったり。でも不思議と売り切れているのに2、3個持ってる人っているんだよね(笑)。そうすると、1個くらい貸してよとか、いない間に借りちゃおうかなとかいう気持ちって、誰しもありますよね。
ーその通りです。人間の心理ですね。
一方、父が演じた(語りがメインの)「奈須与市語」は、狂言としては非常にレベルの高いものなんですけど、語りというものを外国のお客さんに聞かせるということは、ひとつのチャレンジだったと思います。意味を追うことも重要だけど、プラスそれを歌うようでもあり、しゃべるようでもあり、〝話芸〟としてテクニックを駆使することに加えて、いわゆるジェスチャーが入る。ちゃんと意味を理解して見られていたかなというのを、お客さんに聞きたいですね。字幕を読んでストーリーを追うのに精一杯で、臨場感を味わえないのではもったいない。
ー万作さんの「奈須与市語」を、どのような気持ちでご覧になりましたか?
観客席の反応を見てみたいという気はしましたね。米国人のお客さんに対して、何か変えるべきところはあるのかな、と思ったり。
ー舞台では〝野村萬斎〟という存在感があふれ出ているように感じましたが、伝統芸能である狂言に、自分なりにアレンジを加えたりすることはありますか?
決まったせりふはありますが、言い方ひとつでその人なりの個性が出ることはあります。
ー「悪太郎」なら、今日は酔っ払っているシーンを大袈裟にやってみようかな、とか?
多少はあります。(悪太郎が持っている)長刀をお客さんの頭の上まで持っていったりとかね。
ー昨日は後ろ向きの千鳥足で、舞台のぎりぎりまで出ていましたね。
そうですね。舞台から落っこちそうに見えました? 酔っているときの臨場感が出ていたということです(笑)。
ー客席からは笑い声がかなり聞かれましたね。
「盆山」は爆笑でしたが、「悪太郎」は少し味わいながら見ていたような気もしました。うれしいですよね。衣装や髭といった視覚的な演出もあるし、演じる人間としても、自分を誇張して見せようとする虚栄心とか、虚勢を張っていたのを剥がされてしまうのが、なんとも無垢なる人で、何となく精神の痛みであったり、そういうことが悪太郎に表れていると思って演じています。
ー萬斎さん自身も(大酒のみで泥酔する)悪太郎のようになってしまうことは?
昨日もそうでしたね(笑)。
ー狂言のもつコミカルな部分は、元々ご自身はお持ちだったと思いますか?
人をエンターテインすることは好きです。それと、「変な人」と言われるのは嫌いじゃないですね。
ー個性的ということでしょうか…。
ある種面白い人のことというか、僕らのひとつの美的な感覚をさらに美しく見せたいということが根幹にあるので、舞台で役者の個性が反映されるとありがたいですね。悪太郎だって若者がやるのと僕がやるのと、父がやるのとでは年齢に応じた見え方が当然出てくるし、役者に応じた見え方が出てこないといけないですからね。
ー狂言にとどまらず、さまざまなことにチャレンジされている萬斎さんの今後の目標は?
まあニューヨークでね、トニー賞でももらいたいな、なんて(笑)。賞なんかは分かりやすいものですけれど、僕の存在証明というのは狂言なので。この時代にわざわざ狂言をやるという意味を問い続けたい。それがこの古典の形であったり、自ら演出するものもあれば、いろんな人とのコラボレーションによって作品ができることもある。そういうところで、自分が狂言師として生まれて良かったなと思える瞬間を磨きたい。あと、僕は〝狂言サイボーグ〟なんていう表現をしますが、僕らは狂言という型の中にはめ込まれて生まれて、訓練をさせられるわけです。自分の中に埋め込まれたチップみたいなものがあって、その狂言を自分のものにする、っていうのかな。ただもう、チップの在処もわからないくらいに馴染んでいるわけなんです。
ー生まれたときから狂言師なのですね。
ただ僕は、意図的に演じているっていうのは、まだ煩悩が強いんです(笑)。無理やりお客さんを惹きつけようとする。父なんかになると無の境地に近くなってきて、もう道具や型も必要なく、(父の持つ)吸引力でお客さんが見てしまう。そこに自分も到達したいと思いますね。僕はそういう意味で言うと、煩悩の強い男なんですね、まだまだっていうくらいね。
(取材協力:ジャパン・ソサエティー)