じいちゃんと謎の料理
パリに移り住んだときの話。フランスの人たちは「H」の発言が苦手だ。なのでヒデがイディになる。ぼくはこの呼ばれ方が気に入っていた。イディには「考える」という意味もある。そしてジャックのことは敬意を込めて「シェフ」。でも、いつからか心の中では親しみを込めて「じいちゃん」と呼ぶようになっていた。
ソーホーにあった手打ち蕎麦屋を退職しパリへ行こうと決めたのは、ニューヨーク移住から5年後のことだった。最初は近くのフランス料理の学校へ行こうと考えていたが、フランス人の友人に話すと大笑いされてしまった。「フランスで習わなきゃ意味ないじゃない…」確かにそうだ。「知り合いのシェフを紹介してあげるからパリに行ってきなさい」そう言われて即決した。
白い瀟洒なビルはセーヌ川を臨む南側の15区にある。ジャックはTV局キャナルプリュースの社長を始めテレビ出演者のためのお抱えシェフ。ビルに一歩入れば、そこはフランスのエリート社会だ。
5階に到着するとジャックが待っていた。優しそうな、ちょっと太めのおじいさん。英語は話せないようだが何とかなるだろう。さっそくシェフジャケットを借り、1日目が始まった。「ヴォアラ、では始めにロワを作ろう」みたいなことをジャックは言いだした。しかし何のことだか分からない。「ロワ?」何度も聞き返した。次第にジャックの顔が赤くなり「ロワも知らんのか!」みたいに言いだした。焦りと緊張で突っ立っていると、ジャックは呆れながら〝roux〟 と書いて見せた。
「ルーか!」。
赤っぽい夕陽が翳るアパルトマンに帰ると座り込んだ。本で覚えたフランス語などまったく役にたたない。ルーさえ聴き取れなかった自分が情けない。パリの空は蒼く染まり、そして夜が低く垂れ込めてきた。
「マルセイユの港にジャックの船が停泊させてあって、近所のうちの家族と仲がいいの」ニューヨークで友人はそう話を始めた。「でも彼は苦労した人よ…」と続けた。ジャックの人生は荒波に放り出される形で始まる。彼は捨て子なのだ。保守的なフランス階級社会のなかで、ジャックが重ねてきた努力は想像に余る。パリ市長のお抱えやシャネルのモデルの披露宴を任されるにはどれだけのストーリーがあるだろう。
朝になって目が覚め、メトロを乗り継ぎ、再び真っ白なビルへ向かった。その日から一字一句漏らさぬよう耳を傾けメモを取った。幸いにもスーシェフのジョンジャックやマリーが英語を話すことができたので、ふたりにも付いて、何でも手を出し、無我夢中で1カ月が過ぎた。
「イディ、採れたてのアスペルジュ・ブランシュだ。茹でてソース・オランデーズも用意しておくように」。そのころキッチンでの言葉はだいたい理解できるようになった。「ダッコー シェフ」皮をむいて茹でると、ホワイトアスパラから湯気が上った。春を告げるほろ苦い香り。「セ ボン サ?」目が合うとじいちゃんは嬉しそうにうなずいた。
浅沼(Jay)秀二
シェフ、ホリスティック・ヘルス・コーチ。蕎麦、フレンチ、懐石、インド料理などの経験を活かし、「食と健康の未来」を追求しながら、「食と人との繋がり」を探し求める。オーガニック納豆、麹食品など健康食品も取り扱っている。セミナー、講演の依頼も受け付け中。
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