チリビーンズに風が立つ
グランドキャニオンへ行ったときの話。
やっとありついた、ボウルにあふれんばかりのチリビーンズとトルティーヤ。赤いトマトソースの中にキッドニービーンとひき肉、溶けたチーズが描く地層のようなラインにぼくは飛びついた。
少しだけ遠くなった空の碧。それでも太陽はジリリと肌を刺し始めた。「そろそろ戻るか」立ち止り振り返った。早朝から歩いて来たトレイルを目で追うと、向こうに見上げる紅い絶壁。そのてっぺん、遥か上空に見える、あれは、地平線?
夜が明けるころ、サウスリムのひと気の少ない崖っぷちに佇み、眼下に巨大な自然の造形を望んだ。視覚だけでは捉えきれない深淵なる陰影を、目を閉じ、耳をすませ、土の匂いを嗅ぎ、風に感じた。剥き出しの大地の赤裸々な波動は、やがて浪々と谷間を流れる風となり、岩肌に根ざす無数の草木の命をそっと揺らす。少し歩いて、峡谷の谷底へ向かうトレイルの看板を見つけ、そのまま散歩くらいのつもりで降り始めた。気分はまるで風に乗って大空から降下する鳥だ。
この旅は車でアメリカ大陸を周るというものだった。夏休みを利用しイエローストーンで野生動物と親しみ、南下して来たのがここグランドキャニオン。旅費を浮かせるため車中で泊まり、リンゴをかじって運転した。勢いだけの旅は楽しみに満ちていた。
入り口にあったサイン「水と食料を忘れずに」を思い出し後悔したが、地上まで登らない限り食べ物も水もありつけない。日差しが真上に近づくなか、とにかく歩き始めた。トレイルがジグザグになり坂が急になると、空腹と疲労が襲ってきた。体力が落ちている。足がどうにも動かなくなり、子どもたちに追い抜かれ、老人御一行の後塵も拝した。ふらふらになって、入り口まで4時間。ようやく当たり前が普通に転がっている地上に戻ってきた。
一目散に食べ物屋を目指した。ダイナーを見つけ車を停め、倒れ込むように席に着いて、チリビーンズを注文。熱々のチリにスプーンを突っ込み、ビーンをすくって、ひき肉が現れ、ソースが滴り、ボウルが音を鳴らした。そこに乾いた地を巻くチポトレのスモーキーな風が立ち、湧き上がる力を、そして、静かに揺らした。
浅沼(Jay)秀二
シェフ、ホリスティック・ヘルス・コーチ。蕎麦、フレンチ、懐石、インド料理などの経験を活かし、「食と健康の未来」を追求しながら、「食と人との繋がり」を探し求める。オーガニック納豆、麹食品など健康食品も取り扱っている。セミナー、講演の依頼も受け付け中。
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