ファッションライターあやこんぶの“おしゃクロ!” Vol.30 ウィリアムズバーグをヒップな街にしたクラフトブルワリーの意外な背景

ビル・デブラシオNY市長は地域文化と産業を守るため、指定区画内の新たな商業施設建設に規制を設け、ホテルの乱立に待ったをかけました。ヒップスターと観光客に埋め尽くされる前からブルックリン文化を盛り上げてきたブルックリン・ブルワリーは、これにより移転発表を撤回し、ウィリアムズバーグに残ることに。敷地内にレストランやビアガーデン増設を計画しています。さらにこの3月、キリンとの資本業務提携により、日本でもブルックリンラガーが発売され、その関心は国境を超えさらに高まっています。

I♥︎NYも手がけた巨匠ミルトン・グレーザーによるロゴマークが光る Courtesy of Brooklyn Brewery

I♥︎NYも手がけた巨匠ミルトン・グレーザーによるロゴマークが光る Courtesy of Brooklyn Brewery

1988年に誕生したブルックリン・ブルワリーは、その味の評判の良さはもちろんですが、背景にもロマンが溢れています。創始者のひとりであるスティーブ・ヒンディーさんに話を聞きました。「ジャーナリストであった私は、1970年代当時、AP通信の特派員として中東各国に派遣されました。レバノン内戦をはじめ、戦時下にあった現地の取材記事を担当。赴任生活の中で、宗教上の背景から酒を売るのが違法である国では多くの異教徒が自身で飲む酒を自家醸造していたことを知り、私も現地でビールづくりを習得しました」。1978年にホームブルーイングが合法化。今のブームを担うクラフトブルワーたちの多くは当時集まった愛好家クラブのメンバーだといいます。第2世代をむかえたブルックリン・ブルワリー現社長を務めるオッタウェー兄弟の父は、ワシントン・ポスト紙の記者であり、ヒンディーさんが赴任中にエジプトで出会ったというのも何かの縁。

マンハッタンのスカイラインが臨める絶好のロケーション

マンハッタンのスカイラインが臨める絶好のロケーション

ヒンディーさん自身も創業当時に何度も強盗被害にあったというウィリアムズバーグの家賃は、この25年間で10倍に膨れ上がりました。ブルックリン・ブルワリーはクラフトブルワリーの先駆者として、新銘柄を次々に出し続け、シーンを牽引しています。そのパイオニア精神を知れば知るほど、クラフトビールの味をより一層楽しめるでしょう。

創始者スティーブ・ヒンディー氏

創始者スティーブ・ヒンディー氏

日本産のホップを使ったソラチ・エース

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Brooklyn Brewery http://brooklynbrewery.com

 

ueda111

 

フリー・ジャーナリスト
Aya Komboo
日本では数々の出版社で経験を積み、フリーランスへ転身。2006年よりロサンゼルスへ渡米し、現在はニューヨークを拠点にファッション/カルチャー誌などで活躍している。