第二次世界大戦中に強制収容所へ送られたユダヤ人が失ったのは家族だけではない。住んでいた家も財産も奪われた。ホロコースト最大の被害国であるポーランドでは戦後72年経っても賠償が進んでいない。
5月10日付のニューヨークタイムズはスウェーデン在住のポーランド系ユダヤ人、ハーニャ・ローゼンバーグさん(82)のケースを紹介している。
父は強制収容所で死亡家も農地も没収
ローゼンバーグさんは1934年、ポーランド南部の都市オシフィエンチム(ドイツ語名はアウシュビッツ)で生まれた。ナチスドイツは39年に侵攻するとすぐさまここに強制収容所を建設した。1100万人の命が奪われたアウシュビッツ収容所だ。
父は干し草や石炭の輸出入会社を経営。裏庭ではイヌやニワトリ、ガチョウ、ウシを飼っていた。幸せな日々は一変、父は強制収容所で亡くなり、ローゼンバーグさんは親切な家族に匿われ、母は軍需工場で強制労働に耐えた。生き残った2人はその後、スウェーデンに移住した。
祖父母は3階建ての家を持ち、雑貨店を経営していた。農地と近くの町ヤンジニに庭園を2つ所有していたが、戦後の共産主義時代に没収された。現在、農地だった場所にはショッピングモールと新しい家が立っているが、祖父の名で知られた庭園は残っている。ローゼンバーグさんは彼女を救ってくれた家族にそれを贈与したいとして所有権を求めている。
最大の被害、最低の賠償
プラハに本拠を置くヨーロッパ・ショアー・レガシー・インスティテュートが発表した最新の報告書によれば、ポーランドはホロコーストで財産を失った人たちに対する正式な手続きを確立していない唯一のEU加盟国だ。戦前、ヨーロッパ最大のユダヤ人コミュニティーを持ち、ホロコーストで490万人(うち一般市民は190万人)が殺されているのにもかかわらず、である。
ユダヤ人のみならず、ロマ(ジプシー)、同性愛者、障がい者などヨーロッパ全土のホロコースト犠牲者は、保護しようともせず、ときには共謀して迫害してきた政府や隣人から不動産を取り戻すという、不確かな道をたびたびたどらなければならなかった。報告書いわく「法律は生存者の味方ではなく、より多くの場合、彼らの敵であり、泥棒や窃盗財産を保有していた人々に刑罰を与えていない」と。報告書はまた、ポーランドで不正が複雑化したのは、「共産主義後の総合的な私有財産法」が制定されなかったため、と分析している。
ポーランドでは財産返還を求める場合、各自が裁判所に申し立てなければならない。「裁判所へ行ったわ。でもまるで回転木馬のようだった。たらい回しよ。必要と言われた書類をそろえて持って行っても足りないと言われ、また新たに持って行っても足りないと言われた。その繰り返し」と、ローゼンバーグさんは話す。
(次週に続く)