「テーブル28番メインコース、あと何分だ?」
オーダーを読み上げるシェフの声が響く。
「こっちは2分!」
ポアソニエのブーイが答える。
「こっちは4分、ステーキがミディアムウェルだから少しかかる」
汗を流しながらロンがブーイに視線を向けた。
「よし4分だ、その間に34番を仕上げるぞ。2分だ、急げ!」
「ウィ、シェフ!」
調理にかかる時間を逆算して、長くかかるディッシュから料理を始める。刻一刻変わる状況を念頭に置き、何種類もの料理を同時に進行させなければならない。特にステーキは火を入れ過ぎれば終わりで、そうなると同じテーブルの料理全てがやり直しになってしまう。ぼくにはフランス語の壁もあるので、全ての神経を集中しながら調理をしなければならない。忙しくなってくるとキッチンの中はさながら戦場のようになった。
「28番、ステーキはまだか!」
「あと30秒!」
「キンデ…」
ロンがオーブンから取り出したフィレミニョンのカットを始めると同時に、ぼくは温めたソースにバターを落とし火から外した。
「ソース!」
視線を合わせたブーイがうなずくのを確かめ、最後にソースで仕上げる。そしてすかさず次のオーダーに。
「キンデー…」
「なに?いま忙し…ん」
後ろを振り向くとムサが立っていた。エチオピア人のムサだ。彼はニヤニヤしながらソーセージとシュークルートの盛られた皿をぼくに差し出した。
「キンデ、ほら食え」
ぼくの名前がどうしても発音できないムサがそれでも精一杯頑張った末、とうとう「キンデ」という名に落ち着いてしまった。なんだかアフリカンネームを授かったようだった。そのムサと言えばどれだけ忙しくてもお構いなしに、そこらの料理をぼくに食べろ食べろと差し出した。そんなに腹を空かしているように見えたのだろうか。最初は少し戸惑ったけれど、彼の好意を見ていたシェフも苦笑しながらうなずいていたので、ムサからの差し入れ「キンデ、マンジェ」は半ば公認となり、ぼくは仕事中に差し出される料理を勉強も兼ね毎日ありがたく頂くことになった。
つづく
Jay
シェフ、ホリスティック・ヘルス・コーチ。蕎麦、フレンチ、懐石、インド料理などの経験を活かし、「食と健康の未来」を追求しながら、「食と人との繋がり」を探し求める。オーガニック納豆、麹食品など健康食品も取り扱っている。セミナー、講演の依頼も受け付け中。
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