百年都市ニューヨーク 第3回 853年創業 スタインウェイ&サンズ(下)

一流演奏家の98%が使用

 組み立て開始から11カ月、手作業の全工程を経て完成したスタインウェイのピアノは、職人の耳による厳格なサウンドチェックの後に出荷される。その台数は1日3台程度。年間で1000台にも満たない。
 スタインウェイのピアノを体験したければ、ミッドタウンの6番街にあるショールームを訪れるといい。コンサートホール用のフルグランドピアノ「モデルD」からアパートにも置ける「モデルS」まで、グランド6タイプ、アップライト3タイプがずらり勢ぞろいしている。 
 プロは通常、微細な「ヘアライン」と呼ばれる細かいつや消し加工を施した黒のスタインウェイを好むが、マホガニーやウォルナットなど高級素材で仕上げたピアノは9種類もあり、こちらは家具としての価値が高いそうだ。
 ショールーム地下には、ビンテージも含めさらに30台以上のグランドが並ぶ。世界中から訪れるプロの演奏家たちがいつでも試弾できて好きなピアノを選べる環境だ。その脇には100人規模のプライベートな小ホールも設置され、新人ピアニストの発表の場となっている。「私たちはアーティストを何よりも大切にします。彼らなくしてスタインウェイは何も語りません。素晴らしいピアニストと素晴らしい楽器が1つになったとき、本当の音楽が生まれるのです」と話すのはマーケティング部長のギルロイさん。
 世界の一流ピアニストの98%がスタインウェイを使う。その数1500人以上。「私たちはスタインウェイアーティストと呼んでいますが、弊社からお願いして専属になってもらったわけではありません。全員が自費でスタインウェイを購入しているのです」。ギルロイさんが賛辞のいくつかを紹介してくれた。

「時々ピアノの方が弾き手よりすごいんじゃないかって瞬間がある。それがスタインウェイ」
マルタ・アルゲリッチ
「こんなにリッチな響きがあるなら怖いものなしだ。スタインウェイは唯一無比だよ」
ハリー・コニックJr.
「コンサートで素晴らしい演奏をさせてくれたスタインウェイのピアノに感謝してやみません」
エフゲニー・キーシン
「モデルDを弾き始めてから私の演奏が変わった。あれは、別の生き物です」内田光子

スタインウェイ不滅のアーティスト、ウラジミール・ホロビッツ(写真中央)とオスカー・レバント(左端)。一緒に写っているのは当時のCEOたち (photo: Courtesy of Steinway & Sons)

スタインウェイ不滅のアーティスト、ウラジミール・ホロビッツ(写真中央)とオスカー・レバント(左端)。一緒に写っているのは当時のCEOたち (photo: Courtesy of Steinway & Sons)

スタインウェイとホロビッツ

 アーティスト重視の精神は創業13年目から既に始まっていた。現在のショールームの前身に当たる初代スタインウェイホールは、同社2代目社長のウィリアムの肝いりで1866年に建てられた。2000人収容の大ホールで、カーネギーホールが91年に誕生するまではニューヨーク随一の音楽堂だった。ここで最高のピアニストにスタインウェイを弾かせることで観客を圧倒。それが製品の信頼獲得とセールスに直結して同社が飛躍的に成長したことは言うまでもない。1925年に同ホールは、57丁目のそのカーネギーホールの真向かいに引っ越した。
 最初に「スタインウェイしか弾かない」と豪語した巨匠はアーサー・ルービンシュタイン(1887-1982)といわれている。ウラジミール・ホロビッツ(1902-89)もスタインウェイに熱烈に傾倒した1人だ。ホロビッツが生涯で最も愛用した通称モデルD(CD503)は、現在も同社の管理の下、全米を巡回展示。若いピアニストに試弾させている。

スタインウェイが開発した最新式の自動演奏システム「スピリオ」を搭載したモデルM。ホロビッツの名演が目の前のスタインウェイで、いつでも蘇る

スタインウェイが開発した最新式の自動演奏システム「スピリオ」を搭載したモデルM。ホロビッツの名演が目の前のスタインウェイで、いつでも蘇る

驚愕の自動演奏装置「スピリオ」

 アーティストたちとの最新のコラボ事業が自動演奏装置「スピリオ」だ。最先端のコンピュータ技術を駆使し、同社が保有するスタインウェイアーティストたちの過去の演奏(7000本超)を実物のスタインウェイグランドで再現するという驚くべきアイデア。プロしか気が付かない微妙なニュアンスまで蘇らせている。「タブレット操作1つで、ホロビッツが、ラン・ランが、セロニアス・モンクまであなたのスタインウェイを弾いてくれるんです」とギルロイさん。
 創業160余年。スタインウェイ&サンズは21世紀に合った形で、創業以来の精神を維持している。ちなみに、2000年に新品の定価が8万3000ドルだったモデルDは、現在13万7000ドル。投資物件としてもスタインウェイは堅調なのだ。(了)
*7月14日号からはホットドッグのネイサンズを取り上げます。

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スタインウェイ&サンズ社
1853年ニューヨーク市で創業。創業者ハインリッヒ・シュタインヴべーグ(英語名ヘンリー・スタインウェイ)とそのサンズ(息子たち)による堅実な家族経営と徹底したドイツ流の手作り職人技で米国を代表するピアノ製造会社に成長。リスト、ラフマニノフ、チャイコフスキー、ホロビッツら世界の巨匠ピアニストから名器と称賛され、現在もラン・ランや内田光子からビリー・ジョエル、ダイアナ・クラールまでプロ演奏家の20人に19人はスタインウェイを愛用する。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。