徳島県徳島市八多町八屋の五王神社境内に設けられた「犬飼農村舞台」で、11月3日の文化の日に毎年上演される人形浄瑠璃で使われる人形を30年間撮り続ける神戸市在住の写真家、佐藤順子さん(80)の個展「残生」が日本クラブで20日まで開催された(本紙9月14日号で既報)。
生身の人間のような生き生きとした表情と、次の公演までの間、行李の中で眠りにつく、祭りの後のようなたたずまいを切り取った写真は、時空を超えた感動を呼ぶ。個展に合わせて来米した佐藤さんに話を聞いた。(加藤麻美/本紙)
人のいないところで感じる人の気配とらえたい
人形浄瑠璃の発祥は平安時代
「曽根崎心中」の近松門左衛門が有名ですが、発祥は平安時代。流浪の芸能集団、傀儡子(くぐつ)が、目鼻を付けた人形(でこ)を使って道徳的な説話を辻々で説いて回っていたのが始まり。浄瑠璃も能も歌舞伎も、日本の伝統芸能は傀儡子が原点です。
親から子、子から孫へ
五王神社境内での人形浄瑠璃は、豊穣を祝い神さまに感謝する農民たちの奉納浄瑠璃。200年前から親から子、子から孫に伝えられ現在まで脈々と続き、国の重要有形民俗文化財にも指定されています。ここで使われる人形は、宇野千代の小説「人形師天狗屋久吉」のモデルになった吉岡久吉(1858〜1943)が作ったものです。
人形の声聞こえた
写真仲間から「面白い舞台があるよ」と教えられて、1984年から犬飼農村舞台の写真を撮るようになりました。人形遣いの倉橋春一さん(故人)の魅力に惹かれて撮っていたのですが3年ほどしたあるとき、「私を撮って」という声が聞こえ、はっと我に返りました。「人形にも命がある」って気がついたんです。そしてその命とは何だろうって。人形遣いが舞台を終え、人形を抱えて楽屋に戻って来るとき人形遣いの「気」が人形に吹き込まれる瞬間がある。人形に魂が宿る一瞬。今、撮れと言われても絶対に撮れないですね。
白黒ヌード写真の名匠、故本庄光郎に師事
何百とある現像紙の選び方、焼き付けや引き伸ばし方を学びました。趣味として40年間続けている能は、55世梅若六郎の弟子だった本庄先生の影響。能面に親しんできたので、人形に惹かれるのかもしれないですね。
人のいないところで感じる人の気配
犬飼農村舞台の他に、大正7年に建てられ廃校になった小学校や犬島の銅精錬所跡、アイヌ民俗などを記録する写真を撮り続けていますが、テーマは1つ。「人のいないところで感じる人の気配」です。人間との関わりで(被写体に)変化が生まれ、独特の「間」が存在する。そして解釈は見る人に委ねられるのです。
豊かな文化伝えたい
名産品はその土地で食べるからこそおいしいでしょう? 土地土地には独自の、ときには考えられないような文化があります。これからも、日本各地に根ざした、先祖から伝わる豊かな文化を伝えていきたいです。