今月は、チャーリー・ペレットさん(=写真上=)について。
チャーリーさんは、ブルームバーグラジオで働くベテランのアンカーであり、リポーター。出身は英国だけれど、ニューヨークには20年以上住んでいる。で、そのチャーリーさんがね…。
え? チャーリーさんってそもそも誰かって?
それは驚きの質問だ! 今これを読んでいるあなたが、ニューヨークに住んでいようが旅行で来ていようが、たった一度でも2000年以降にニューヨークの地下鉄を利用したことがあるのなら、彼を知らないはずがないのだから。
チャーリーさん、何を隠そう、あの「Stand clear of the closing doors, please」の声の持ち主。通勤に地下鉄を利用するあなたなら、ほぼ毎日、チャーリーさんの声を聞いていると言っても過言ではないだろう。この他にも、なんてこったいとつぶやきたくなるような「This is the last stop on this train」(なぜなら大概の場合、その予定ではないから)や、できることなら聞きたくない「We apologize for the unavoidable delay」なども、チャーリーさんによるもの。
ニューヨーク州都市交通局(MTA)がアナウンスに採用するのは、チャーリーさん以外には現在のところ全て女性で、ジェシカ・エッティンガーさん、ダイアン・トンプソンさん、メリッサ・クレイナーさんがいるのだが、その全員が当時所属していたブルームバーグラジオでアナウンスを収録したという(全員がボランティア、つまりギャラを受け取らず、とにかく声を収録して、MTAがオーディションして決定したそうだ)。
ロンドン訛りを必死に克服
時は2000年ごろ(オーディションと収録はその約8カ月前のことらしい)、悪名高き、スプレーペイントやらで汚くて危険なニューヨークの地下鉄を一掃しようと、MTAが新しくきれいな車両を導入することをきっかけに、アナウンスを改めて収録することになったのだという。今は当たり前に見るようになった日本のカワサキ製の真新しい車両(R142系という)がニューヨークを走るようになったタイミングだったから記憶に残っている人もいるかもしれない。
チャーリーさんは、自身の声が15年以上も流れ続けていることに対し、「こんな光栄なことはないね」とある日のインタビューで答えている。そして、非常に興味深い(Interesting)ことだ、とも言っている。地下鉄に乗るたびに、自分の声がなにかしらのタイミングで聞こえてくることも確かに「おもしろく」もあるだろうが、その「興味深さ」は、自身の出身地にあるようだ。
チャーリーさんはロンドン生まれで、高校や大学でも構内アナウンスを担当するなど、自分の声を発信するのが大好きだったそうだ。しかし、20年以上前、まだ20代でニューヨークに移り住んだとき、チャーリーさんは自分の“声”に苦しむことになる。米国に来て、英国訛りの英語を冷やかされ、笑われたのだ。チャーリーさんはその後、自分の“ブリティッシュイングリッシュ”をなくすために徹底的な努力をした。その方法とはラジオを聴くこと。米国人がどう話すのかを研究したという。今では、米国人である奥さんが、「僕のことを『アメリカ英語を話す唯一のイギリス人』とジョークを言うほどになった」とチャーリーさんは笑う。
一員であることを認めてもらうために
このエピソードを知って、筆者は1人の声優のことを思い出した。その人の名は、津嘉山正種(まさねと読む)という。西田敏行さんが所属する劇団青年座に入団し、自身も舞台や「踊る大捜査線」シリーズに出演する俳優だが、ケビン・コスナーやロバート・デニーロの吹き替えなどで活躍する声優でもある。彼は沖縄県出身。上京したとき、まだ沖縄と本土を行き来するにはパスポートが要るような時代で、1ドルは360円ほどだった。俳優を志望した若き津嘉山青年は、さまざまな劇団に入ろうとしたり、役を得ようとオーディションに挑んだりするも、そんな訛りでは無理だと門前払いをくらったという。それが悔しかったから、徹底的に標準語を勉強し、イントネーションや発音を勉強し直したと教えてくれた。そして、米国留学を目前に控えた筆者に言った。「君もそういう努力をすることになるだろう。むしろすべきだ。自分の目指すべき道を進むとは、そういうことだからね」
外国人として、米国に移り住んだことのある人なら、誰でもそのような場面に遭遇したことがあるのではないだろうか。「ここの一員であることを認めてもらえるように、最低限の英語を話すようにすること」。それは、武勇伝のようにも、苦労話のようにも聞こえるけれど、チャーリーさんや津嘉山さんからは、そのことに対する悲壮感は伝わってこない。むしろ、好きなことや目標に向かって、目指すべきゴールが明確で、やるべきことが分かっている楽しさの方が伝わってくる。
だから、たとえこの街で生きることが多少ハードだったとしても、今日も地下鉄に乗ってチャーリーさんの声を聞くたび、ニューヨークで生き抜くために苦悩することは悪くないと思える。ニューヨークで最も知られるアナウンスの声の持ち主が米国人でないことが、いかにもメルティングポットらしい。
ニューヨーカーの皆さん、「閉まるドアにご注意ください」。アメリカンドリームをつかむチャンスのドアが開いているのはごく一瞬のことだろうから。
取材・文/山田恵比寿 外資系出版社勤務を経て、2014年からニューヨーク在住。特派員としてインターナショナル誌の編集やコーディネートを担当する。