百年都市ニューヨーク 第10回 創業1913年 ファイザー(上)

ウィリアムズバーグにある元ファイザー工場。創業地の向かいに位置し、2008年まで操業していた

ウィリアムズバーグにある元ファイザー工場。創業地の向かいに位置し、2008年まで操業していた

 世界経済の中心といわれるニューヨークだが、産業のほとんどが金融業に集中しており、メーカーや鉱工業の本社は意外に少ない。しかし、ニューヨークで生まれ100年以上もここに本社を構える大企業がある。製薬会社の「ファイザー」だ。 
 2016年の総売上は528億ドル(約6兆円)。全世界に9万6000人もの従業員を抱える世界一の製薬会社の創立は19世紀半ば。伝染病の蔓延、南北戦争、第一次、第二次世界大戦など歴史の荒波に揉まれながら、虫下し薬からペニシリン、テラマイシンなどの薬品を開発・販売し、多くの命を救ってきた。大戦後も抗がん剤、血中コレステロール低下剤から、最近はED治療薬のバイアグラまで、現代人は「ファイザーの薬なしでは生きられない」と言っても過言ではない。
 同社のグローバルヘッドクォーター(世界本社)が、グランドセントラル駅からほど近い42丁目沿いにあることは、その界隈に勤める人なら誰でも知っている。ところが、ファイザーがそこからイーストリバーを隔てた対岸、ブルックリンで発祥したことを知る者は少ない。ファイザーが生まれた経緯とニューヨークで発展した軌跡をたどると、浮き彫りになってくる歴史がある。

動乱の時代に
ニューヨークで誕生

 ファイザー社の創立は1849年。日本史年表を見ると、嘉永2年で第11代将軍徳川家慶の治世だ。黒船来航が53年、これを契機に幕末が始まるといわれるので、いわば動乱前夜といったところか。かたやヨーロッパでは前年に「1848年革命」が起こり、自由主義や国民主義を旗印に反乱の狼煙がいたるところで上がった。一足先に変革は始まっていたのだ。
 その動乱を逃れて「新天地アメリカ」に渡るヨーロッパ人は後を絶たなかった。歴史的な年、1848年にルードウィッヒべルグ(現ドイツ。シュツットガルトの北12キロ)からニューヨークに移民したのが、チャールズ・ファイザーと、いとこのチャールズ・エルハルトである。ファイザーは父親から借金した2500ドルを元手に、翌年早くもブルックリンに工場を買う。場所は、ウィリアムズバーグのハリソンアベニューとバートレットストリートの角だ。
 ファイザーたちが迷いのないスピードで新天地事業を展開した背景には急速に経済発展する当時のニューヨークの姿があった。1814年にイーストリバーに史上初の蒸気船が進水し、25年にはエリーキャナル(運河)の開通で大西洋と米国内陸部が水路で直結するとニューヨークは商業の一大拠点に成長した。人口は6万人(1800年)、12万人(20年)、30万人(30年代)と倍々ゲームで増加。11年に、マンハッタン島の大部分に「東西南北」の条里制道路計画条例が施行され、ものすごい勢いで宅地造成が進んだ。一方、貧しい労働者たちはダウンタウンの無計画な地区に押し込まれスラム化が始まる。上下水道もお粗末だったためチフスやコレラなど伝染病の流行で大量の死者が出た。

ファイザーのグローバル本社ビル。1961年竣工の34階建ビルは老朽化のため2019年半ばに市内の別の場所に移転する予定

ファイザーのグローバル本社ビル。1961年竣工の34階建ビルは老朽化のため2019年半ばに市内の別の場所に移転する予定

インフラと技術面に
寄与したドイツ移民

    
 混沌状態で発展するニューヨークで大活躍したのがドイツからの移民だ。アメリカ合衆国の政治的な建国の父は英国系移民だが、経済的な基礎、中でもインフラ敷設に寄与したのはドイツ移民だ。まず筆頭に挙げられるのが、ジョン・ジェイコブ・アスター(ドイツ、ウォルドル出身)。毛皮取引で築いた資産を使ってニューヨークの不動産開発を進めた。また、飲料水補給に革命をもたらしたクロトン上水道(1842年完成)を作った技術者もドイツ人なら、ブルックリン橋(1869年起工)の設計者もドイツ人。ついでに言うと、6月の本コーナーで紹介したピアノメーカー「スタインウェイ&サンズ」の創始者もドイツ出身の家具職人だった。それまで英国の植民地で農業国だった米国が工業化するためにはドイツの技術と知識がどうしても必要だった。そして、母国の騒乱の中で仕事を失ったドイツ人(その多くが職人や研究者)にとって、米国の新市場が与える機会は大きかった。
 前置きが長くなった。これらの背景の下、ファイザーたちは起業した。正式社名は「チャールズ・ファイザー&カンパニー」。 そして、最初の成功は予想外に早く訪れた。

(※12月15日号に続く)

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Pfizer
1849年ニューヨーク市で創業。2016年度の営業利益は147億ドル(1.64兆円)。日本を含め全世界に営業拠点を構える世界一の製薬会社。グローバルヘッドクォーター(世界本社)は42丁目と3番街の角。開発部門本部はコネティカット州グロトンにある。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。