摩天楼クリニック「ただいま診察中」(連載26) 心の病気 【10回シリーズ、その3】薬物依存症(下)

薬物依存症(下)
matenro171110-1

大山栄作 Eisaku Oyama, M.D.
ニューヨーク州立マンハッタン精神病センター精神科医。安心メディカル・ヘルス・ケア心療内科医。1993年東京慈恵医科大学卒業。2012年マウントサイナイ医科大学卒業。米国精神医学協会(APA)会員。日本精神神経学会会員。日米で10年以上の臨床経験をもつ。

薬物とは脳内で自然に作られる神経伝達物質によく似た化合物(その多くが治療を目的として開発された薬剤)。これが脳の中のレセプター(受容体)と結合することで人工的に強力な快楽や多幸感をもたらす。その快感に脳が慣れると自然な神経伝達物質の産生ができず、平常時に不快感を覚える。快感を回復しようとさらに薬物を使用する…。これが前回学んだ薬物依存の「悪魔の悪循環メカニズム」だ。「俳優Aが薬物所持でまた逮捕」といったニュースなどにふれるたび、「ハマると抜けられない」と恐ろしくなるが、果たして薬物依存患者にはどんな治療を施せばよいのだろうか? また「完治する治療法」はあるのだろうか? ニューヨーク州立マンハッタン精神病センターと日本人専門クリニック「安心メディカル」で心の病気の治療に当たる大山栄作医師に聞いた。

Q前回は、薬物依存の怖しさについて認識を新たにしました。これは一度かかったら、簡単には治らない病気なのですね?
Aそうです。今まで薬物依存がアメリカ、特にニューヨークで蔓延している点を強調するあまり、この病気が日本人にはやや縁遠いような印象を与えてしまったかもしれませんが、実はアルコール依存症もれっきとした薬物依存であり、その治療も困難です。

Q日本人は自分も含めて実によくお酒を飲みます。お酒に関しては緩い、というか「甘い」部分も多々あります。「酒は文化だ、嗜みだ」「酒のない人生なんて」みたいな考えの人も多いと思います。しかしWHOの統計によると日本全国で230万人ものアルコール依存症患者がいます。
Aアルコールも前回お話した薬物と同じ原理で、脳内のレセプターに結合します。この場合はγ-アミノ酪酸(通称GABA)レセプター。GABAは、抑制性(興奮性の反対)の神経伝達物質で、気分をリラックスさせて心配を取り除く作用があります。アルコールは、このGABAの受容体にくっつくことで、同様のゆったりした多幸感をもたらすのです。薬物と同じく、アルコールも乱用(運転中や仕事中など、飲みながら作業してはならない場面でも平気で飲み、飲んでいる状態が平常となること)と離脱症状(アルコールが切れたときに体が痙攣したり、せん妄や被害妄想に襲われたりすること)が出たら、「依存症」と診断されます。なので、ここから先は、アルコール依存も含めた意味での薬物依存の治療についてお話ししましょう。

Qそもそも、いったんのめり込んでしまったら出口の見えない薬物依存ですが有効な治療法はあるのですか?
A依存症の治療は非常に難しいのですが、中でも患者が一番苦しむのは離脱症状(禁断症状)です。激しい痙攣などは生命に危険を及ぼすこともありますが、それらを抑える対症療法はあることはあります。例えば、ヘロインの離脱症状には、下痢、関節炎、嘔吐などがあって大変苦しいのですが、これをメサドンのような別の薬(しかし麻薬の一種)を用いてヘロインが受容体にくっつかないようにする治療法はあり、これでいくぶん離脱症状は和らぎます。

Q「毒を持って毒を制する」みたいな荒療治ですね。もちろん1回で終わるような簡単なものではないのでしょうね。
Aはい、時間がかかります。少しずつ薬物の結合を他のものに置き換えていくことによって、せめて離脱症状だけは取り除くという、気の遠くなるような治療です。また、薬物によって一度破壊されてしまった脳神経は二度と再生しません。元通りにする治療法はないのです。若い患者の場合、他の脳の機能がダメになった部分を補って神経再生することがありますが、それも稀なケースです。

Qたとえ禁断症状を克服しても、薬物の快楽が忘れられずにまた手を出してしまうことも多いのでしょうね。
Aはい、精神的な依存ですね。薬物依存症には必ずこの精神的な部分があります。これを除去するには、例えばお酒の依存症の場合などは、アルコホーリクスアノニマス(AA)のような回復互助グループの力を借りるのが一番です。全世界に支部がありますので、その会合に参加して同じようにアルコールを断ち切りたい人たちと意見を交わし勇気を分かち合うしかないのです。

Qアルコールに依存する人間は他の薬物にも依存しがちなのですか?
A両者は密接に関係しています。というか、ひとつの対象に依存する人はなんにでも依存します。ひいては、ものに頼るだけでなく人間関係でも依存しがちです。自分で解決できない弱さを前面に出してくる。それで家族や友人に頼り切る。迷惑だと分かっていても、その迷惑までも他人に共有させたがる。心理的にいつも助けを求めているのです。

Qそれはもう病気というか、性格というか、体質というか…線引きが難しいところですね。
Aはい。なので、先ほどのAAも含めて、これは非常にキリスト教的なアプローチなのですが、「自分は無力だ」ということをまず周囲に知らしめるのです。もう半ば宗教的に自分の弱さを受容してから、次の段階に進む。つまり、①自分には周囲の助けが必要と認識する②助けてくれる周囲を裏切ってはいけないと自戒する③そのためには、今度は自らが助ける立場になる…という三段論法的アプローチです。

Q依存症であることを否定しないんですね。
Aそうですね。今ある依存を他の何かに変えるしか精神的依存を乗り切る方法はないと思います。だから僕も治療の現場では「あなた1人でもっと頑張らなくちゃダメじゃないですか!」みたいなお説教や鼓舞はやらない。全く効果がないと思います。

Q依存症の治療の難しさがとてもよく分かりました。
Aロックバンド「エアロスミス」のスティーブン・タイラーは長年アルコール依存症と闘っていますが、彼がこんなことを言っています。
 「俺は、酒をやめて以来、ツアーでどの町に行っても必ずAAのミーティングを見つけて参加しているんだ。どんな小さな町でもAAを探し当ててみんなと話す。おかげで今日も断酒記録は更新中だが、気がついたら毎日AA漬けじゃないか! 結局、AA依存症になっちまったってわけよ」(薬物依存症、了)

*次回からはうつ病について解説します。