連載㉒ 山田順の「週刊 未来地図」 憲法改正前に知っておくべきこと(後編1) じつはリベラルではなく保守が憲法改正を阻んできた!

 前回に続いて憲法改正について問題点を指摘します。今回、問いたいのは、じつは、これまで憲法改正を阻止してきたのは、メディアが報道するような左派・リベラル・護憲派ではなく、右派・保守・改憲派だということです。
 彼らは左派・リベラル・護憲派が「護憲」を主張することを逆利用し、アメリカを騙しながら、今日まで憲法改正を引き延ばしてきたのです。それがもう続けられなくなったというのが、憲法改正の真相なのです。

日本人はまだまだ
改憲に乗り気ではない

 もう旧聞に属するが、11月3日の文化の日に、憲法第9条改正に反対する野党の集会が国会議事堂前で開かれた。この日は、日本国憲法公布の記念日でもあるからだ。この集会で、野党勢力の新しいリーダーとなった立憲民主党の枝野代表はこう訴えた。
 「立憲主義は右も左もない。より幅広く、より大きな輪を広げていく、その戦いの第1歩を、ここ11月3日、日本国憲法が公布されたこの日に、国会前からスタートさせていこうではありませんか」
 政党名にわざわざ「立憲」を付けたのだから、憲法を守る、改正は許さないというのが立憲民主党の立場だ。それを改めて枝野代表は強調したのである。そして、この枝野代表の声明を受けて、共産党の志位委員長はこう続けた。
 「安倍9条改憲絶対阻止のゆるぎない多数派をつくり、改憲策動をみんなの力で葬り去ろうではありませんか」
 いったいいつまで改憲反対=護憲を続けるのか? と言いたくなるが、護憲は一種の“宗教”だから、一度入信したらなかなか解脱できない。しかし、いまや日本国民の多くは「改憲するほかないだろう」に傾いている。ただ、その踏ん切りというか、決断がなかなか下せないだけではないのか? というのが私の見方だ。これは、これまでの世論調査の結果に表れている。世論調査の数字はメディアによって異なるものの、ほぼどの調査でも、賛成と反対が拮抗しているからだ。つまり、まだ国民には「ためらい」がある。

安全保障、平和に
責任を持たないズル賢さ

 国民の多くは、「改憲するべき」だということはわかっている。核ミサイル開発を続ける北朝鮮、拡張主義を続ける中国などの国際情勢を見れば、これは緊急の課題でもあると理解している。また、憲法はアメリカがつくったものであり、これがあるかぎり、アメリカの属国として主権が制限されるということもわかっている。しかし、それでは改憲は当然ではないかと言われると、すぐにそうしたくないのである。
 国家のあり方を考えれば、「改憲」は当然だ。しかし、この“当然”を受け入れたくないのが日本国民なのである。一部を除いて多くの国民は、左派・リベラル・護憲派の主張に賛同しているわけでもない。それなのに、いまだに「護憲」に惹かれている。「護憲平和教」はエセ宗教、邪教であるとわかっていても、それを受け入れていたいという願望が、日本国民にある。いったい、なぜなのだろうか?
 これに対する回答をズバリ指摘してくれたのは、ビートたけし氏である。昨年私は、たまたまテレビ朝日の時事番組に出演して、当時、まだ大統領候補だったトランプ発言「日本は米軍駐留費を全額負担しろ」などについて、何人かの識者と討論した。このとき、ビートたけし氏は、こうつぶやいたのである。
  「結局、日本国民というのはズル賢いわけなんだよ」
 この言葉の意味は、自衛隊はもとより軍備そのものを持てない日本国憲法が“欠陥”憲法であるのは、国民自身も十分わかっている。しかし、この“欠陥”、これを利用すれば、自分たちで国を守らなくていい。金さえ払えばアメリカが守ってくれる。こんな楽なことはないから、これを続けていきたいということだ。
 国家と安全保障、平和に対して責任を持ちたくない。だから、それを憲法のせいにして責任を逃れ、さらに負担逃れもしていきたい。これを「ズル賢い」と言わずになんと言おうか?

吉田茂はアメリカの
再軍備要求を2度も拒否

 このたけし氏の指摘は、じつは、歴史的に見て正しいと言える。なぜなら、1950年に朝鮮戦争が起こったとき、アメリカは態度を180度変えて、日本に再軍備を要求した。しかし、これを吉田茂首相が拒否しているからだ。1950年と1951年の2度にわたってダレス国務長官は吉田に再軍備を要求したが、吉田は拒否した。
 吉田は護憲のために拒否したのではない。極めて現実的な判断、つまり、もっとも「ズル賢い」道を選んだのだ。アメリカに押し付けられ、当時の現実に適しなくなった「リーガルフィクション(法的偽装)」に過ぎない憲法を、あたかも日本国民が望んだことのように主張したのである。
 トランプが選挙期間中に指摘したのは、日本がアメリカ軍を雇っているなら、もっとカネを払うべきだということだった。いわゆる「日米同盟ただ乗り」論である。
 しかし、吉田の主張を受け入れたのだから、アメリカも堂々とは「ただ乗り」を批判できない。
 再軍備は、憲法第9条を否定することになる。そこで、再軍備を要求するために、マッカーサーは、1950年1月に、「日本国憲法は自衛権を否定するものではない」という声明を出した。そして、自衛権という名目で警察予備隊(その後の自衛隊)をつくらせ、旧軍関係者を復活させた。以来、歴代の自民党政府の憲法解釈は、このマッカーサー声明を踏襲してきた。
 すなわち、「憲法は国家の自衛権まで否定するものではなく、それは国連憲章などでも保障されている」というものだ。そして、「自衛権は専守防衛のためのもので、個別的自衛権にとどまるという」としてきたのである。
 しかし、2年前の安保法制の成立によって、ご承知のように「集団的自衛権」も容認されることになった。こうなると、もはや日本の「ずる賢さ」は、通用しなくなったと言えるだろう。(つづく)

 
 

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【山田順 】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

この続きは、12月4日発行の本紙(アプリとウェブサイト)に掲載します。
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。