連載35 山田順の「週刊:未来地図」 あと1年4カ月で終わる「平成」 はたして「新元号」は必要か?(中)

 すでに経済評論家の池田信夫氏が昨年の1月の時点でかなり積極的な「元号不要論」をウエブの言論サイト「アゴラ」(『もう元号を使うのはやめよう』「アゴラ」 2017年1月10日)で述べている。

《平成31年と聞いて、とっさに西暦何年のことかわかる人は少ないだろう。平成31年とは2019年のことだ。今度これが新元号になると、2020年から「新元号」2年、3年…となり、年数の計算は一段とややこしくなる。官庁はいまだに統計データが元号で使いにくいが、元号法は「元号は政令で定める」と規定しているだけで、官庁にも元号の使用を義務づけていない。マスコミで元号を使っているのはNHKと産経ぐらいだが、海外ニュースは西暦だ。では国内と海外の事件を一つのニュースで伝える場合はどうするのか、原則がないので混乱する。》

 このように述べたうえで、池田氏は「新たに元号を定めるのはかまわないが、官庁のデータは必ず西暦を併記し、NHKはすべて西暦で統一すべきだ」と訴えていた。このようなことを振り返ると、元号廃止論というより公官庁の文書やメディアなどで元号使用を停止したらどうかというのが、いまや主流になりつつあるように思える。この元号使用停止論を勢いづかせるのが現在、元号を使用しているのは日本だけだという歴史的な事実だ。元号が生まれた中国ですら1911年の辛亥革命で廃止され、その後成立した中華人民共和国では西暦のみが公用化されている。「それなのになぜ、日本だけが守る必要があるのか?」というのである。

最初の年号は「大化」、法的規制はない

 そこで、ここで元号とはなにか? その歴史的経緯と、法律ではどうなっているのか? を整理してみたい。
 誰もが知るように、元号は中国の王朝によってつくられた。始めたのは前漢の武帝で、最初の元号は「建元」である。なぜ元号がつくられたかというと、皇帝が空間ばかりか時間まで支配したかったからである。つまり、自分の「治世」ということで、元号をつけたのである。
 この思想を輸入した日本で最初の元号が生まれたのは、645年の「大化の改新」時で、このとき定められた「大化」が日本最初の元号である。以来、日本では今日まで、紆余曲折はあったとはいえ、延々と元号が続いてきた。明治から元号は、天皇の一世一元となったが、この制度が大きく揺らいだのが、戦後の新憲法制定に伴う皇室典範の改正だった。これをもって元号を定める法的根拠が喪失したからである。しかし、公官庁から民間にいたるまで、「昭和」の元号が使用され続けた。これは現在の「平成」においてもそうだ。現在、元号は「元号法」により、その存在が定義されているが、その使用に関しては基本的に自由であり、私文書などでは使用しなくても罰則はない。
 じつは、戦後一貫して元号の存在規定があいまいだったために、国会で議論されたことがある。それは、1977年のことで、今上天皇が高齢になられたため、野党側から元号を廃止して西暦に統一するべきだという意見が出たからだった。
 このとき、政府は世論調査を実施した。この調査はごく一般的なもので、「昭和・大正というような年号を使っていますか? 西暦を使っていますか?」という質問に答えるというものだった
 が、結果は、88.6%の人が「主に年号(元号)」と回答した。このため、元号は必要と判断され、1979年に前記した「元号法」が制定されたのである。その内容は簡単で、元号は政令で定めること、皇位の継承があった場合に限り改めることと規定された。
 つまり、このような経緯から見れば、元号は民主主義の世の中で、国会によって必要だと決められたものだから、民意を反映している。ならば、それを廃止するなどおかしいという論法が成り立つ。さらに、日本人自身が日本の伝統である元号を必要とし、それを守ろうとしているということになる。

左翼、天皇制廃止論者が元号廃止を唱えている

 もちろん、当時といまでは時代が違うが、元号廃止論が常に野党、それも左翼側から唱えられてきたのは事実である。
 評論家の故・山本七平の『常識の落とし穴』(文春文庫)に、元号廃止論について書かれたところがあり、そこには次のような記述がある。
 山本七平はあるとき、元号廃止論者の集まりに呼ばれて議論した。

《このときつくづく感じたことは、まず第一に、この人たちの意図は、本音は天皇制廃止であること。ただそれを言うとあまりに抵抗が強いし、憲法上の問題が出てくる。この人たちは一面では、「平和憲法絶対護持」を主張しているから、その矛盾を突かれると困る。そこで戦術的にまず『外濠』を埋めるような形で、「元号廃止」に持って行こうとしているのだと感じた。》

 たしかにそうだろう。いまでも、この状況は変わっていない。左側の人々ほど、天皇制を嫌い、天皇制とセットである元号を嫌うからだ。もちろん、一般の日本人は、こうした左翼的な元号廃止論を受け入れてはいない。右翼にいたっては、元号廃止などとんでもない話で、そんなことを口走っただけで、「日本人ではない」と攻撃してくる。
 ただ、私としては右翼というか、保守の人々の心情も十分理解できる。極右は別として、大化の改新以来一貫して続いてきた伝統を、なぜ自分たちの時代に廃止するのかと問われれば、引かざるをえない。
 日本人は、大昔から天皇と一体で生きてきており、日本人にとって「元号=天皇の治世」が時代そのものという感覚がある。つまり、自分が生きている時代が天皇の治世であることは自然なのだから、公文書を西暦だけにするなどやってはならないと、このように言われると納得してしまうのである。
(つづく)
 
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
この続きは、1月17日発行の本紙(アプリとウェブサイト)に掲載します。
 
 

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【山田順 】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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