連載36 山田順の「週刊:未来地図」 あと1年4カ月で終わる「平成」 はたして「新元号」は必要か?(下)

「元号・西暦換算」のややこしさ

 しかし、やはり、元号使用は面倒であるし、この21世紀、グローバル化した世界にはふさわしくないと思う。また、いまはコンピュータ時代で、ネットによって全世界がつながり、リアル世界以外にヴァーチャル世界も存在している。
 それで、ヴァーチャル世界のことを思うと、年号はやはり必要ないだろうと思う。実際のところ、「換算」ということほど面倒なことはない。経済記事を書いていると、常に「USドル」を「日本円」に換算して説明しなければならないが、これが常に変動する。しかも、ミリオン、ビリオンなどと、向こうは日本とは単位が違っている。また、石油はガロンで表すが、アメリカの1ガロンは約3.78リットルで、英国(英連邦共通)の1ガロンは約4.54リットルとなっている。本当にややこしい。もちろん、年号換算はこれよりはややこしくないが、それでもかなり面倒だ。
 私は昭和27年生まれなので、生まれ年を聞かれると、以前は「昭和27年です」と答えてきたが、あるときから「1952年です」に切り替えた。これは、英語圏の人間と付き合うようになったこともあるが、歴史を語るとき、元号ではピンとこないからだ。年号ばかりで考えると、日本史と世界史はまったくの別物になり、日本は世界とつながっていない錯覚に陥ってしまうのだ。
 私の頭の中には、「元号・西暦換算式」が常にある。そのもとになっているのは、次のような元号の知識だ。

・明治:元年は1868年、1912年の明治45年まで
・大正:元年は1912年、1926年の大正15年まで
・昭和:元年は1926年、1989年までの昭和64年まで
・平成:元年は1989年、現在は2018年の平成30年

 そして、換算式は次のとおりだ。
・明治→西暦:プラス67、明治45年(45+67=112)=1912年
・大正→西暦:プラス11、大正15年(15+11=26)=1926年
・昭和→西暦:プラス25、昭和64年(64+25=89)=1989年
・平成→西暦:マイナス12、平成29年(29-12=17)=2017年

「関ヶ原の戦い」「忠臣蔵」はいつの出来事?

 元号も含めて「暦」(こよみ)というのは、本当にややこしい。たとえば、日本史の中で“天下分け目の合戦”とされる「関ヶ原の戦い」は、慶長5年9月15日だが、これは西暦1600年9月15日ではない。なぜなら、当時は「太陰太陽暦」(平安時代に渤海使によってもたらされ862年から1685年まで800年間以上にわたって使用された暦法)が使われており、西暦(グレゴリオ暦)にすると10月21日になるからだ。
 この日の関ヶ原は前日の雨で、朝から濃い霧に包まれていた。それが、朝日が登るなかでじょじょに晴れたので、合戦が始まった。この天候は、まだ残暑が残る9月半ばには起こらない。西暦換算で10月下旬とわかって、やっと理解できるのだ。
 忠臣蔵も同じだ。討入りは「時は元禄15年、12月14日」という口上で始まるので、ああ12月かと思うが、実際はそうではない。だいたい、12月の半ばに江戸で雪が降ることはほとんどあり得ない。これも西暦換算すれば、簡単に理解できる。すなわち、元禄15年はグレゴリオ歴では1702年だが、元禄15年12月14日はすでに1703年になっていて1月30日のことである。この時期なら、江戸に大雪が降っても不思議ではないのだ。
 このようなことは歴史を学んだ者には常識だろうが、一般にはあまり知られていない。なぜなら、歴史的なことに関しては、とくに日本史の場合、元号と旧暦をそのまま記述しているからだ。これは下手に西暦換算して記入すると、混乱するだけになるからだ。しかし、これは過去のことであり、現代、そして未来に関しては、もう元号表記をやめるべきではないかと思う。

元号を使い続けた場合のデメリット

 それでは、元号のデメリットに関してまとめてみよう。まとめてみると、およそ次の9項目に収斂される。

①西暦との換算が面倒。混乱のもとになる
②元号より前の過去を表現することが難しい。たとえば、紀元前N年といった表記ができない
③西暦には終わりがない。しかし、元号は天皇の崩御ごとにリセットされる
④元号は未来を表現できない。公式文書で平成40年とした場合、そこまで平成が続くかどうかはわからない(すでに改元が決まった)
⑤日本だけの年号表記で、外国人には通用しない。たとえば「明治時代」と言っても、外国人にはわからない
⑥歴史の理解の妨げになる
⑦西暦の1年に対し、昭和64年と平成元年など複数の元号が対応する場合がある。2019年の改元が決まったが、この年は「平成31年」であるとともに「新元号(未定)1年」である
⑧元号の修正のたびに各種印刷物等の修正費用がかかる
⑨コンピュータシステムを書き換える必要がある(システムへの影響は限定的とされるが…)

 どうだろうか? やはり、今後は、公文書やメディアでは元号の使用をやめるべきではないだろうか? とくに、文書でよくある生年月日の記入欄で、[大、昭、平]という略に○をつけるのはやめてほしいと思う。
 昭和から平成になってしばらくしたとき、当時、小学生だった娘のクラスに帰国子女の女の子が転入してきた。その子の母親が、こう言ったので思わず笑ってしまったことがある。
「昨日ね、娘に塾の申込書を書かせたんですが、『ママ、このダイ、ショウ、タイラってなあに?』と聞くんです。それで見ると、大正、昭和、平成のことではないですか! 本当にびっくりしました」

 元号の完全廃止は歴史、伝統に反するのでする必要はない。しかし、公文書や統計は利便性のために西暦で統一し、元号は文化的なことにだけに限って使えばいいのではないだろうか? すでに私は、自分の記事、本はすべて西暦表記で統一している。

(了)
 
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
 
 

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【山田順 】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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