ペニシリンの量産に成功
20世紀初頭の花形サイエンスといえば細菌学である。子どものころ夢中になって読んだ細菌学者たちの自伝。コッホ、パスツール、北里柴三郎…。人類を死に追いやる見えない敵「病原菌」に白衣と顕微鏡で立ち向かう彼らの姿は、日々ばい菌にまみれて生活していた昭和少年少女の憧れの的だった。
中でも1928年に青カビから肺炎や梅毒、敗血症といった感染症の特効薬、ペニシリンを発見した英国のアレクサンダー・フレミング博士(1881-1955)の功績には胸が踊った。いわゆる世界初の抗生物質の誕生。実は、そのペニシリンの量産に成功し、普及に貢献したのがファイザー社である。
ノルマンディー上陸作戦でも大活躍
ペニシリンの商品化は非常に困難で資金も要するため、フレミングの発見後10年はさしたる進歩がなかった。研究者たちは資金援助を米国に求める。彼らの発表に共鳴し、投資を申し出たのがファイザー社の幹部たちだ。政府の呼びかけもあって同社は、ペニシリンの開発競争に参入する。「3年間はその生産と研究に集中せよ」という厳しいミッション。他の薬品の製造にも影響が出た。しかも原料のカビは非常に繊細な物質で抽出量も少なく精製が難しい。当初は、とても商業ベースに乗るとは思えなかった。だが、彼らは諦めない。世の中では第二次世界大戦が勃発。戦場では負傷した兵士たちが壊疽や感染症でバタバタ倒れていた。転機は42年。同社所属の化学者、マーガレット・ハッチンソンの発想がゲームの行方を変えた。
「そもそもファイザーは、微生物の力を使ってクエン酸など食品添加物の大量生産を成し遂げた会社よ。ペニシリン製造にもそのノウハウを使わない手はないでしょう?」。ハッチンソンの提案で、ファイザー社は、ブルックリンの古い製氷工場を買取り改装。石油化学精製にも詳しいハッチンソンは、クエン酸作りに使う深底タンクを用いて砂糖、塩、牛乳、ミネラルなどを効率よく発酵させ、大量のカビを生産するシステムを、わずか4カ月で構築、操業開始からまもなく、当初の予想の5倍ものペニシリンが抽出する。
時あたかも戦時体制下の米国。政府の指導の下、他の製薬会社もファイザー社(ハッチンソン)にならって深底タンク方式を取り入れる。みるみる全米のペニシリン製造量は上がり、43年の最初の5カ月で4億ユニットを生産した。中でもファイザー社が品質、量共にダントツで、44年のノルマンディー上陸作戦に兵士が携帯したペニシリンの9割は同社製だった。おかげで何万人もの負傷兵の命が救われた。
新抗生物質テラマイシンを開発
終戦時の45年8月には、戦地用、民間用合わせて6500億ユニットものペニシリンが完成。これが戦後の復興期に、世界中の感染症治療に威力を発揮した。ちなみに、日本での流通は47年から。おかげで戦前は40歳前後だった平均寿命が50年には60歳前後までに伸びたという。
40年代後半になると、ビジネスの形態が少し変わる。それまでは化学工業会社として、薬の原料を製造し特許販売していたファイザー社が、自社で薬剤を開発し、ファイザーのブランドとして売り始めたのだ。その先駆けが新抗生物質テラマイシン(商標名)。テラとはラテン語で土。自社の研究者を総動員して、文字通り、世界各地から13万5000もの土壌サンプルを収集し、2000万件もの試験を実施。その中から治療に役立つ微生物を見つけ出すという気の遠くなるような作業を通して、この新薬は開発された。
テラマイシンは日本でも抗生物質入りの軟膏などでおなじみだが、そのマーケティングが画期的だった。医学雑誌の広告とDMを使って医師に直接セールスをかける。「テラ」というキャッチーなフレーズをそこら中に撒いて、新薬の好イメージを植え付ける。今では当たり前だが当時としては最新式の売り込みが功を奏し、テラマイシンは爆発的に売れた。
仕掛けたのは、ファイザー御用達広告代理店のアーサー・サックラー。少し横道にそれるがこの男についてどうしても書いておきたい。次回、番外編をお楽しみに。
(2月2日号に続く)
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Pfizer
1849年ニューヨーク市で創業。2016年度の営業利益は147億ドル(1.64兆円)。日本を含め全世界に営業拠点を構える世界一の製薬会社。グローバルヘッドクォーター(世界本社)は42丁目と3番街の角。開発部門本部はコネティカット州グロトンにある。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。