百年都市ニューヨーク 第15回 創業1905年  パトナム・ローリング・ラダー社(上)

 2018年1月。過熱するニューヨークの不動産業界をにぎわせたニュースがある。
 ソーホーの歴史保存地区にある隣り合わせのオフィスビルが2棟合わせて4600万ドル(約51億円!)で売れたのだ。場所はハワードストリートの30番地と32番地。ともに5階建てで建築様式はキャストアイアン。鋳物製の柱が支える鉄筋コンクリート以前の伝統工法だ。30番地のビルは、高級ブランドなどテナントが入っていたが、32番地は1棟丸々売り手の会社が1930年代から使用していた。この売り手こそが、今シリーズの主役、「百年企業」である。

ソーホーはハワードストリートの30番地と32番地に立つパトナム社ビル=2017年12月撮影

ソーホーはハワードストリートの30番地と32番地に立つパトナム社ビル=2017年12月撮影

可動式ハシゴ一筋113年

 売り手の名前はパトナム・ローリング・ラダー社(Putnam Rolling Ladder Co, Ltd)。創業1905年。ローリングラダーとは、作り付け本棚用の木製可動式ハシゴのこと。
 米国の住宅では、バスルームやキッチン、ベッドルームと並んで立派な書斎(Private Library)がインテリアの重要な部分を占める。特に高い天井まで届く作り付けの本棚は、家主が一番こだわるところ。古今東西の名作か? 趣味の本か? 専門書か? どんな蔵書を本棚に並べるかで家主の人格や人生が推し量られるから気を抜けない。また家主が美術品のコレクターだったりすると、この本棚が展示スペースにもなるので本棚はたいてい特注。板材やデザインに関しても細かく注文が入る。

パトナム社の木製可動式ハシゴ

パトナム社の木製可動式ハシゴ

 パトナム・ローリング・ラダー社(以下パトナム社)が専門とするのは、そんな本棚に掛けるハシゴ。脚には車輪が付いており左右に移動できるが、要するにただの木製のハシゴである。
  「ウチのハシゴは丈夫なんてもんじゃない。一度買ったら一生持ちます。お客様の中には、引っ越すのでお宅で買ったハシゴを『まだ使えるから引き取ってくれ』とおっしゃる方もいて、ビンテージのハシゴをリサイクルしたこともありますよ」と自慢げに話すのは、グレッグ・モンシーズさん。昨年まで務めていた社長の座を息子のグレッグJr.に譲り渡したばかりで、現在は会社の相談役だ。「正直な話、ソーホーの物件が売れてホッとしています。3年かかりました。とにかく古いビルはメンテナンスに膨大な費用と時間がかかるんです。おかげでここ数年はハシゴ業に集中できなかった。本社はニュージャージーに移して、製造はブルックリンのブッシュウィックにある工場で続けます」

相談役のグレッグ・モンシーズさん

相談役のグレッグ・モンシーズさん

 ハシゴ同様、長持ちが身上のパトナム社。それにしても、51億円もの大金を手に入れながらも、まだ作り続けるハシゴとは一体どのようなものなのだろうか? なぜ113年もの間、ハシゴ1本で会社を運営できたのだろうか? 単純に考えても、ハシゴはハシゴ。ホームセンターでいくらでも安価な外国製が買える時代ではないか?

需要高めた富豪の邸宅建設ラッシュ

 パトナム社は1905年にサミュエル・パトナムによってニューヨークで創業された。当初はローワーマンハッタンのウォーターストリートに事務所兼工場があったが、30年代にハワードストリートの32番地に本拠を移した。1905年といえば日露戦争が終結した年である。米国では南北戦争以後の工業化が成熟し、石油、鉄鋼、鉄道などの分野で財を成した途方もない大金持ちが、ニューヨークの各所に贅を極めた私邸を建てていた。 当時は、情報や教養の中心は出版物。書籍や雑誌をいかに多く所有し幅広く読んでいるかが人間の重要な評価基準となっていた。先に述べたように書斎作り、本棚作りは人生の一大事業だったのだ。
 そんな時代に可動式ハシゴの需要は常に高く、パトナム社は幸せにハシゴ事業を展開していた。1946年に創業者サミュエルが亡くなると、経理担当のキャロライン・レームさんが経営の跡を継いだ。終戦直後ではまだ珍しい女性社長の誕生だったが、4年後にキャロラインさんは甥っ子のウォーレン・モンシーズさんを説得して、会社を買い上げてもらう。このウォーレン3代目社長が、グレッグ相談役の父親である。
(3月2日号に続く)

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Putnam Rolling Ladder Co, Ltd
作り付けの木製可動式ハシゴおよび木製スツールの製造・販売会社。顧客はニューヨーク市をはじめとした全米の富裕層。ジョージ・W・ブッシュ元大統領、オノ・ヨーコ、ブルック・シールズ、ダイアン・フォン・ファステンバーグと、セレブリティーの名前がきら星のごとく並ぶ。2016年の総売上は約300万ドル(約3.2億円)。
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取材・文/中村英雄 映像ディレクター。ニューヨーク在住26年。人物、歴史、科学、スポーツ、音楽、医療など多彩な分野のドキュメンタリー番組を手掛ける。主な制作番組に「すばらしい世界旅行」(NTV)、「住めば地球」(朝日放送)、「ニューヨーカーズ」(NHK)、「報道ステーション」(テレビ朝日)、「プラス10」(BSジャパン)などがある。