連載53 山田順の「週刊:未来地図」オリンピックとナショナリズム (下) なぜ選手は国のために戦わねばならないのか?

ヒトラーが利用した
ベルリンオリンピック

 オリンピック憲章によると、オリンピックエリアにおいては、いかなる種類の政治的、宗教的もしくは人種的な宣伝活動は認められないことになっている。
 しかし、これはあくまで理想、建前であり、オリンピックほど、政治利用されてきたスポーツ大会はない。崇高すぎる理想ほど、政治にとって利用しやすいものはないからだ。
 今回の北朝鮮の「インチキ微笑み外交」はその典型だが、史上もっとも政治利用されたオリンピックは1936年のベルリンオリンピック、別名「ナチ・オリンピック」である。
 ヒトラーは、このオリンピックをナチスドイツの国威発揚とアーリア民族優勢を示す場にしようと決意し、徹底した演出をゲッペルスに命じている。その結果、ベルリンオリンピックは、異様な興奮のなかで行われ、ホスト国ドイツは金銀銅合わせて89個ものメダルを獲り、2位アメリカの56個に圧倒的な差をつけた。このオリンピックの模様は記録映画『民族の祭典』となり、世界中で上映された。こうして、ナチスドイツの勇名は世界に轟いたのである。
 ちなみに、このベルリン大会前夜に、幻となった東京オリンピックの開催が決まり、日本は熱狂の渦につつまれた。当時は、開催5年前にオリンピックの開催地が決まることになっていたが、ベルリン後の1940年の開催地はIOC内の紛糾があって持ち越されていた。そんななか、白人以外の国家で初めて、もちろん、アジアで初めてのオリンピック開催を勝ち取ったことで、日本のナショナリズムはピークに達した。
 ドイツも日本もナショナリズムの熱狂のなかで、先の世界大戦に突入していった。

東西冷戦の国威発揚
のために利用された五輪

 第2次大戦後のオリンピックも、思い返せば、すべて政治がらみで開催されてきた。東西冷戦のなかで、ソ連と東欧諸国はオリンピックを共産圏の国威発揚、ナショナリズム高揚の場として徹底して利用した。アマチュア精神などは無視され、ソ連と東欧諸国からは、実質プロの「ステートアマチュア」選手たちが、国家のために出場して戦った。
 たとえば東西両陣営は、お互いの利害のために、1980年のモスクワ大会と、1984年のロサンゼルス大会を互いにボイコットした。モスクワ大会のとき、日本のJOCはアメリカの意に逆らって、最後まで参加しようとしたが、結局は政府から補助金打ち切りをチラつかされて断念した。ところが、英国はアメリカの旧宗主国だけに、そんなことは意に介さずにモスクワ大会に参加した。同じようにルーマニアは、ソ連の意に従わず、ロサンゼルス大会に参加した。
 このルーマニアに驚かされたのは、ロサンゼルス大会でメダル合計数第3位を記録したことだ。当時、ルーマニアは独裁者チャウシェスクの圧政下にあった。国民は困窮し、どん底の生活を強いられるなかで、オリンピック選手だけが大活躍したのである。
 チャウシェスクは、ロサンゼルス五輪から5年たった1989年、反旗を翻した国民に殺害され、これが、冷戦終結の象徴的な出来事となった。

サッカーW杯でフランスはなぜ負けたのか?

 オリンピックばかりか、スポーツの国際大会は、すべて政治とナショナリズムが絡んでいる。そんななかで、ナショナリズムが通用しなかった例がある。
 2010年のサッカーワールドカップ南アフリカ大会である。このとき、強豪フランスはグループリーグで1勝もできずに早々と姿を消した。
 この敗因についてさまざまな意見が噴出したが、もっとも的を射ていたのは、フランスチームにはナショナリズムのかけらもなかったということだった。当時のフランス代表チームは、アラブ系、アフリカ系、中南米系の選手が多く、国民的英雄のジネディーヌ・ジダン選手にしてもアルジェリア系だった。つまり、純粋なフランスのノルマン人はほとんどいなかった。これでは、フランス国家のために戦うモチベーションなど持てないというのだ。
 評論家らは「愛国心を持たず、国歌も知らない」「大金を得られないワールドカップでは手を抜き、フランスに所得税を納めないと吹聴する」「他人への敬意を持たない」と、選手たちを酷評した。
 ナショナリズムは、移民国家においては、彼らを一つの国民としてまとめる手段である。アメリカでもフランスでも、移民としてやってきた貧しい人々に「夢」を与えるのが、ナショナリズムだ。この国を愛し、この国のために尽くせば、必ず幸せになれるという「神話」は絶対に必要だ。
 そのために、スポーツは格好の道具でもある。しかし、サッカーワールドカップのような舞台では、これは通用しなくなった。サッカーにおいては、とくに欧州で、すでにナショナルチームそのものが変質してしまっている。
(つづく)

この続きは、2月28日発行の本紙(アプリとウェブサイト)に掲載します。 ※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
 
 
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【山田順 】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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