連載100 山田順の「週刊:未来地図」静かに、そしてじわじわ広がる 「東京五輪でボランティアなんかするな!」運動(上)

 いまの日本はなにかと言うと、「東京オリンピックまであと◯◯日です」と、まるで、政府も国民も一丸となって取り組まなければいけないような雰囲気が醸成され、オリンピックがあたかも「国民運動」のようになっている。
 しかし、オリンピックとは、そこまでして国民が取り組まなければならないイベントなのだろうか?
 そんな疑問もあったのか、いま、「ボランティアなんかするな」という運動が広がっている。ボランティアとは名ばかりで、タダ働きさせられるだけだからやめたほうがいいというのだ。
 たしかに、いまのオリンピックは、ビジネスとして行われる巨大なスポーツイベントにすぎない。ビジネスだから利益を得る主体がある。そのために、なぜ無償のボランティア(=タダ働き)をしなければならないのだろうか?

国立競技場で日の丸の小旗を振った

 東京に2度目のオリンピックがやって来ると決まったとき、私はすぐに「ボランティアをやってみようか」と思った。これは、思いつきというより、けっこう本気だった。それで、家内にも話したし、友人たちにも話した。そうしたら、「じつはオレもそう思っているんだ」という友人がいた。私たちの世代は、小学生のときに先の東京オリンピックを体験している。そのため、オリンピックには特別な思いと、ものすごい郷愁がある。
 「今度は見に行くというより、こう、なんか参加していたいと思うんだよね。それにはボランティアがいいんじゃないかな。それに、2020年なら、もうリタイアしていて用もないしね」。たしかに彼の言うとおりで、そのときは「じゃあ、いっしょにやってみようか」となった。
 私は小学校6年生のときに、クラスでオリンピックを見に行った。いまはもう取り壊された国立競技場のスタンドで、秋の澄んだ青空の下、配られた日の丸の小旗を一生懸命に振った。マラソンのあった日で、“裸足の鉄人”アベベ選手の後に、日本の円谷選手が入ってくると、大歓声が起こった。円谷選手は英国のヒートリー選手に抜かされて3位に落ち、結局、銅メダルになってしまったが、スタンドの声援はものすごかった。いまも、あのときの光景を鮮やかに思い浮かべることができる。その日、スタンドのベンチに敷くために、全員にビニールシートが渡された。それに、例の五輪マークが入っていた。それで、帰るときに、それを大事にたたんで宝物のようにして持ち帰ったことを思い出す。

11万人のボランティアなしでは成り立たない

 それからすでに半世紀以上がたった。時がたつ速さには本当に驚かされるが、はたして、あの頃、ボランティアなどという言葉が日本にあっただろうか? 当時の日本人には、ボランティアをするなどという発想すらなかったと思う。
 しかし、今度の東京オリンピックは、ボランティアなしでは成り立たない。組織委員会は現在、サイトに次のような告知を掲載している。
《東京2020大会においては、8万人の大会ボランティア、東京都が募集する3万人の都市ボランティア、及び競技会場が所在する都外の自治体が募集する都市ボランティアを合わせて11万人以上の活躍を想定しています。大会の運営に直接関わる「大会ボランティア」は公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(東京2020組織委員会)が、募集します。》(2018年5月20日時点)
 組織委員会は、なんと11万人のボランティアが必要だと訴えているのだ(注:11万人は現在で、昨年は9万人としていた)。これはちょっとした中都市の人口に匹敵する、ものすごい数である。
 はたしてそんなに集まるのかと思っていたら、昨年の6月、作家の本間龍氏が、以下のようにツイートしたのが拡散し、ネットで話題になったことを知って、私の考えは180度変わってしまった。

タダボラの汗と努力はJOCと電通の儲け

《再度言おう。全ての学生諸君は東京五輪のボランティア参加をやめましょう。なぜなら五輪はただの巨大商業イベントで、現在42社ものスポンサーから4000億円以上集めており、無償ボラなんて全く必要ないから。あなたがタダボラすれば、その汗と努力は全てJOCと電通の儲けになる。バカらしいよ》(本間龍氏のツイート)

 言われてみればたしかにその通りだった。オリンピックは商業イベントであり、そこでボランティアをするというのは、単なるタダ働きにすぎない。要するに、 9万人もの人間を無償で働かせるのが、主催する側の企みだから、それに乗るなんてとんでもないと、本間氏は言っていた。
 もちろん、反対意見もあったが、リツイートはほとんどが賛成意見だった。
 その後、本間氏は『東京五輪における「無償ボランティア」マインドコントロールを許すな』(集英社イミダスのサイトに掲載)という記事を書き、「なぜボランティアをしてはいけないのか」を詳しく解説した。→https://imidas.jp/jijikaitai/l-40-239-17-08-g690
 本間氏の意見はいちいち頷けるもので、もうこのときになると、私はボランティアする気などすっかりなくしていた。では以下、この記事から、その重要な部分をピックアップして引用してみたい。

協賛金4000億円集めても報酬を払わない

 まず、確認のために、オリンピックで募集されるというボランティアがどんな内容なのかを確認しておきたい。
 ▼大会ボランティア―大会運営に直接関わるボランティアのことで、競技会場や選手村などの大会関係会場およびその周辺で活動する。観客サービスサポート、競技運営サポート、メディア対応サポートなどから通訳まで、14種類に分類されている。組織委員会が募集する。募集は8万人。
 ▼都市ボランティア―国内または外国人旅行者に多言語での観光案内を行ったり東京の魅力を紹介したりする。主な活動場所は、空港・駅、都内観光スポットなど。募集は東京都が行う。募集は1万人(この記事の時点では1万人だったが、その後、東京都は数を増やして3万人にした)。
 以上2つを合わせて9万人。どちらも、まったくの無償である。本間氏は、次のように指摘していた。

《9万人という人数はあまりにも巨大で過去に例がないため、組織委は競技会場を有する自治体や全国自治体・地域(団体、交通事業者等)、企業(スポンサー企業)との連携など、あの手この手で動員を図ろうとしている。もちろん小・中・高生の参加も計画されているが、中でも重きを置いているのが、体力があって酷暑にも耐えられそうな大学生の参加促進である。組織委は795の大学・短大と連携(2017年4月現在)し、大会日程と重なる前期試験の日程変更や、スポーツボランティアの講義を導入し、単位取得もできるように交渉している。さながら学徒動員のような様相である》
《大会が開催される7月24日〜8月9日(パラリンピックは8月25日~9月6日)の東京は間違いなく酷暑である。そんな中でボランティアの多くは屋外での観客整理や誘導に従事しなければならず、熱中症による健康被害が続出する危険性がある。にもかかわらず、現状の計画では組織委負担で保険をかけることすら想定していないのだ。多くの企業が巨額の利潤を受ける一方で、純粋な奉仕精神で参加する人々が無報酬で酷暑に倒れても全て自己責任…とは、労働搾取と言われても仕方ないのではないか》
《周到な「五輪万歳」プロパガンダによって五輪は今もアマチュアの雰囲気を残した祭典のようにPRされている。だがその実体はもはやただの商業イベントであり、その運営は巨額のスポンサー料で賄われている。その中核を担う組織委、JOC、電通などの運営陣は全て超高額の有給スタッフたちであり、あまりの厚遇ぶりに、「オリンピック貴族」とも呼ばれる有り様である》
《東京五輪で9万人のボランティアに対し、1日1万円の日当を20日間(オリンピック・パラリンピック各10日間)支払ったとしても、その費用はわずか180億円である。4000億円近い協賛金からすれば微々たる金額であり、払えない額ではない。というよりも、酷暑の中での過酷な作業に対する正当な対価として、絶対に払うべき金額なのだ》
(つづく)

 
 
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【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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