連載149 山田順の「週刊:未来地図」 甲子園は変わるべきなのか? (下) 「一生懸命頑張る」日本文化を捨ててはいけない

メディアが主催する一大イベント

 はっきり書いておくが、高野連が言う「野球は教育の一環」というのはマヤカシである。そんなキレイゴトは、いまや誰も信じていない。しかし、それでもなお、選手たちがひたむきにプレーしている姿に私たちは心を打たれる。なにか一つに打ち込んで努力することは、それこそが青春ではないかと思うからだ。だから、「頑張れ!」と声援を送る。高校野球を見ると、青春のひとコマが蘇る。

 これが、なにものにも代えがたいコンテンツだと気がついたのだから、日本のメディアはたいしたものだ。アメリカには、メディアが主催するようなスポーツイベントはない。しかし、日本は、高校野球を筆頭に、たとえば箱根駅伝などの代表的なスポーツイベントの多くが、メディアが主催者となって運営されている。高校野球は朝日新聞社と毎日新聞社が主催し、箱根駅伝は読売新聞社が主催している。しかも、高校野球は、なんと全試合をNHKが完全中継し、地方大会はローカル局が完全中継を行っている。つまり日程はメディアの都合だ。
 こうして、甲子園はスポーツイベントというより、夏の行事、風物詩となり、これを見て一喜一憂しない限り、日本人とはいえないことになった。
 いったいなぜ、たかが高校生の野球部日本一を決める甲子園が、ほかのすべてのイベントがかなわない大イベントになったのか、いまとなってはよくわからない。ただ、甲子園には、日本人が求めているもののすべてが凝縮されている。そう言うほかない。

アンビリバボーな根性論の世界

 甲子園のテレビ中継で、疑問に思うことがある。それはファインプレーが出たとき、解説者が「よく鍛えられていますね」と選手をほめることだ。鍛えられているということは、訓練の成果であり、それが出ているということになるが、なぜ、それが素晴らしいことなのか? 選手のプレーそのものより、鍛えられていることをほめるのはおかしくないだろうか? と、私は思う。
 日本の体育会系の部活は、完全な上下社会(監督、先輩、後輩)の下の「絶対服従」の世界である。これは、軍隊と同じだ。そのなかで、徹底した訓練が行われ、それが精神論、根性論となって選手に浸透していく。たとえば、かつては根性をつけるために、選手は練習中、試合中に水を飲まないなどという、信じられないことが平気で行われた。
 こうしたことは、アメリカ人にすると、アンビリバボーの世界である。だいたいアメリカの学校では、日本のような部活がない。そのクラブに入ると、それだけを徹底してやるというふうにはなっていない。スポーツはシーズン制で、夏は水泳をやっても秋はバスケット、冬は休んで春はフットボールをやるというように、基本的にシーズンごとに適したスポーツを「楽しむ」ということになっている。
 しかも、レベル分けされていて、本気でやりたいなら「varsity(バーシティ)」(代表チーム=1軍)に入る。そうでないなら、「junior varsity(ジュニアバーシティ)」(2軍)、「freshman(フレッシュマン)」(1年生チーム)と、入るチームのレベルを落とし、それぞれでスポーツを楽しむことになる。こんなシステムで、日本のように「勝利至上主義」の訓練、鍛練が行われるわけがなく、根性論などそもそも育たない。バーシティでは、勝つことは重要だが、そのためには合理的、科学的な分析の基に練習が行われる。

甲子園は日本の不滅のコンテンツ

 というわけで、そもそもまったく違う文化のなかのスポーツを、同じルールで統一してしまうことは、やめたほうがいいと私は思ったのである。甲子園は甲子園で、日本独特の「根性物語」「一生懸命物語」の晴れ舞台であり、私たちは、球児たちが極限まで頑張る姿を見たいのだ。日本は、なにごとにも「頑張る」国である。なにしろ、「頑張って」が挨拶で、スポーツ選手に限らず、あらゆる人がなにかあると必ず「頑張ります」と口にする。
 しかし、世界は違う。合理的、非科学的な頑張りはしない。そんなことは無駄だと考えている。まして、精神鍛練などという「修行」のような世界観はない。
 ただし、最近のアメリカでは、学校スポーツも勝利至上主義が浸透し、昔のように「楽しむ」ことは優先されなくなったという。これにコマーシャリズムが拍車をかける。たとえば、いまや高校スポーツの専用テレビチャンネルができている。そのため、スポーツのシーズン制が崩れ、全シーズン同じ競技をやるスポーツ高校生がいる。
 日本の高校野球、甲子園は、不滅のコンテンツである。日本に「一生懸命頑張る」ことは美徳という文化がある限り、このまま続けていってほしいと、私は切に願う。年をとったせいだろうか? 青春の日々がなつかしくてたまらない。来年の夏、第2の金足農業が出てくることを、密かに望んでいる。
(了)

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【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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