この6月に日本で「働き方改革法案」が成立してから、企業では早くも法案の実施の時期に合わせて、改革への取り組みが始まっている。しかし、ほとんどの企業は「残業時間を減らせればいい」程度にしかこの問題を捉えておらず、本当に改革が進むのかどうかは非常に疑わしい状況だ。
はたしてこれで、日本人の働き方は本当に変わるのか? なにより、これで、残業が本当に減るのか? 今回はこの問題に関して、根本的に考えてみたいと思う。
「働き方改革法案」の3本の柱とは?
「働き方改革法案」(8本の労働法改正法案)は、野党の激しい抵抗のなか、6月29日に国会で成立した。法案成立に際して加藤勝信厚生労働相は、「改革を通じて生産性向上につなげる。法の趣旨をさらに説明し、1人ひとりが実情に応じて働くことができる社会の実現に努力したい」と述べた。
では、「1人ひとりが実情に応じて働くことができる社会」というのは、具体的にどういうものなのだろうか? 今回の法案は、次の3本の柱から成っている。→は実施時期。
(1)残業時間の上限規制
・残業は年720時間まで、単月で100時間未満とする
・違反した場合は懲役や罰金を課す
・労働基準署が指導する際は、中小企業に配慮する
→大企業は2019年4月、中小企業は2020年4月
(2)同一労働同一賃金
・基本給や手当で正社員と非正規の不合理な待遇差を解消する
→大企業は2020年4月、中小企業は2021年4月
(3)脱時間給制度の導入
・年収1075万円以上の一部専門職を労働時間規制から除外する
・働いた時間ではなく成果で評価する
・年104日以上の休日取得義務
・1度適用されても本人の意思で離脱は可能
→2019年4月
残業を減らし同一労働同一賃金を実現させる
それでは、順を追ってもう少し詳しく見てみよう。
(1)に関しては、ともかく残業時間を減らすことを目的としている。働きすぎで過労死したり、自殺者が出てしまったりした状況をなくす。併せて「だらだら残業」や「サービス残業」を一掃するのが目的。そのため、残業時間の規制を「原則月45時間、年360時間」と定めた。ただし、繁忙期に配慮し、上限は年間で計720時間、単月では100時間未満に規定した。
(2)の同一労働同一賃金は、これまで日本ではまったく実現しなかった。労働慣行がこうしたシステムを許容できないようになっていたからだ。そこで、正社員も非正規も、基本給は勤続年数や成果、能力が同じなら同額とすることにした。そして、非正規に対しても、休暇や研修も同様の待遇を受けられるように改め、通勤・出張手当も支給することにした。ただし、なにをもって同一労働とするのか、その判断基準は明確に規定されなかった。
(3)脱時間給は、「高度プロフェッショナル制度」(略して高プロ)という新制度で実現させる。これは、年収1075万円以上の金融ディーラーやコンサルタントなどの専門職を対象とし、残業代は支給せず、賃金は成果で決める。この制度を利用するには、労使間で合意したうえ、対象者本人の同意も得る必要がある。ただし、そうなった場合、勤務時間の制約がなくなるので、健康確保措置として「4週間で4日以上、年104日以上」の休日確保を義務付けた。
以上だが、この3点により、残業は本当に減るのだろうか? そして正社員と非正規の壁がなくなり、同じ働きをしたら同じ報酬が得られることになるのだろうか? 私には、とてもそうなるとは思えない。なぜなら、それ以前に、日本独特の労働慣行、すなわち「年功序列・終身雇用」システムが問題で、これがなくならない限りは、このような規定をいくらもうけても、それは弥縫策にすぎないからだ。
いまだに、「年功序列・終身雇用」システムは守られている。つまり、企業は1度雇い入れた正社員を簡単にクビにできない。そのため、簡単にリストラできる非正規を増やしてきたという歴史がある。その結果、非正規労働者はいまや日本の全労働者のうちの約4割を占めるようになっている。そんななかで、本当に「残業時間の削減」「同一労働同一賃金」を実現するには、正社員の待遇を非正規並みに落とすしかない。賃金は企業にとってコスト(固定費)である。このコストを上げてしまうと、企業経営は成り立たなくなるからだ。
過労死の防止と生産性の向上が目的
そこで、なぜ、こんな弥縫策にすぎない「働き方改革」が行われたのか、その背景を見てみたい。
「働き方改革」が提唱されたのは、2つの事件がきっかけだった。1つは電通で起きた、過労によって精神まで病んでしまった女性社員の自殺だ。そしてもう1つは、NHKの記者が過労死した事件だった。この2つの事件により、世間の批判が高まり、長時間労働をいかに是正するかということが政治課題になった。
さらにもう1つ、大きな背景がある。それは、安倍首相が「1億総活躍社会」を掲げたときに問題視された日本企業の生産性の低さである。日本は欧米諸国と比べて、労働時間が長いのに、なぜ生産性が低いのかという問題だ。
2016年12月に日本生産性本部が発表した労働生産性の国際比較によると、15年の1人当たりの労働生産性では、日本はOECD加盟35カ国中22位と下位に位置していた。主な先進国では、アメリカが3位、フランスが7位、イタリアが10位、ドイツが12位だから、この生産性の低さは異常だ。さらに、10年から15年の労働生産性の上昇率を見ると、なんと28位と順位が落ちる。
また、「データブック国際労働比較2017」(労働政策研究・研修機構)によると、労働生産性水準は、日本を100とすると、アメリカ155.0、英国119.2、ドイツ112.3、フランス127.4となっている。単純な話、1つの仕事にあたる人数や時間が少なくなれば生産性は上がる。日本はこの点、人数と時間をかけすぎなのである。となると、人数と時間を減らして、もっと効率よく仕事をすればいい。つまり、効率よく仕事をするにはどうするかを第一に考えなければいけない。しかし、過労死などの問題があるから、とりあえずはなんとしても残業時間を減らそうということになったのである。
労働基準法では使用者は1日8時間、週40時間を超えて労働させてはならないと定めている。しかし、労働基準法第36条に基づく労使協定(36協定)を結び、特別条項を付記すると、事実上、無制限に働かせることができてしまう。このような点をなくそうというのである。ちなみに、EUでは「7日ごとの平均労働時間が時間外労働を含めて48時間を超えない」(EU労働時間指令)となっていて、週8時間の残業しか許されない。
(つづく)
【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。
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