「それで、どうしたの?」
楽しみにしていた日本のビール。風呂から上がって喉を潤しひと息つくと、気になっていた紙袋のことを母にそれとなく尋ねてみた。
「ところで、あの袋は何?」
「帰った早々こんな話もなんだけど」
「なにかあったの?」
「あのねえ、2週間前に健康診断に行ったら」
「・・・」
「乳がんが見つかったんだよ」
「そういうことか」
視線が自ずと不自然な袋のスリッパに向いた。そしてしばらく見つめながら、それでもぼくは案外と冷静に受け止めることができた。母も80歳を超えている。体のどこかに異常があるとしても決しておかしくはない。
「それでどんな具合なの?」
乳がんといえば一刻も早い治療が必要なことは知っている。「どれくらい進行しているのか」それがいちばん重要だ。母の答えを待つぼくはもう真剣になっていた。
「それがねぇ」
「・・・」
「すごく初期だから手術すれば大丈夫だって」
「Oh..God..」
思わず天を仰いだ。何というタイミングだろう。結果だけで見ればまるで母のがん治療に合わせて帰国したようだった。しかし実際は長年住んだニューヨークを離れるのは簡単なことではなく、当初の計画からは大幅に遅れていた。最大の理由はコンドミニアムの売却で手間取ってしまったのだ。
予定は遅れに遅れ、つい先日までクロージングの目処が立たず航空券さえ予約できない始末だった。しかし、やっとのことで人生の半分を暮らしたニューヨークを離れ、今こうして乳がん発覚からわずか2週間の年老いた母の前にぼくはいる。これは単なる偶然と言えるのだろうか。
「で、いつ入院するの?」
「その前にいくつも検査があるからまだ決まってないのよ。◯◯病院を紹介してもらったから、そこで手術らしいけど」
長年離れていた日本はもはや異国に近いものがある。その日本へ帰ってからしなければいけないことも山のようにあった。この歳で再びゼロからスタートすることは並大抵のことではない。余計な時間があるわけでもない。 しかし、母が乳がんとなれば話は別だ。まずは何よりも優先して治療の手助けをしよう。これで親孝行のひとつもできる。もしかするとこれは「大切な教え」なのかもしれない。帰国早々に第一の試練、それが「乳がん治療」という意外な形でやってきた。
気を利かして買っておいてくれたのだろう冷蔵庫の冷えたビール。もう一本取り出し喉に感じる新たな苦味、そして母の背中。
「大丈夫だよ」
母はまた少し小さくなっていた。
つづく
Jay
シェフ、ホリスティック・ヘルス・コーチ。蕎麦、フレンチ、懐石、インド料理シェフなどの経験を活かし「食と健康の未来」を追求しながら「食と文化のつながり」を探求する。2018年にニューヨークから日本へ拠点を移す。