【3日付ニューヨークタイムズ】ブルックリン区選出の黒人議員および判事の先駆者の1人として1960年代半ばから活躍し、所属した民主党内で黒人の発言力を高めたウィリアム・トンプソンさんが昨年12月24日、同区ブルックリンハイツの自宅で大腸がんの合併症により亡くなった。94歳だった。
トンプソンさんは64年、黒人として初めてブルックリン区からニューヨーク州議会議員に当選。69年から73年は市議会議員を務めた。78年には、同区およびスタテン島の高位裁判所の副審判官を、80年には同区控訴裁判所で初の黒人准判事に指名された。2001年に退職したが、その後も弁護士として活動。全米黒人地位向上協会(NAACP)のニューヨーク市地区ディレクターなども歴任した。
65年、ニューヨークの民主党内で黒人の発言力向上を求める運動に参加。黒人がブルックリン区の人口の約4分の1を占めるようになった70年には、同区民主党の最高幹部として「君臨」した。
区民からは愛称の「ウィリー」で親しまれ、ユダヤ人が使うイディッシュ語やイタリア語も駆使し舌鋒鋭く主張を展開した。息子のウィリアム・トンプソン・ジュニア氏は元市会計監査官。民主党の市長候補となると、政策面で助言を行った。助言は1日に3回にもなることも稀ではなかったという。