【5日付NY1】ギニア出身の移民、アマド・ディアロさん=当時23=がブロンクス区でニューヨーク市警察(NYPD)の私服警官4人から41発の銃弾を浴びて死亡したのは1999年2月4日。職務質問中の白人警察官が「丸腰」の黒人を虐殺した事件として市内で大規模な抗議行動が起き、逮捕者も出た。アマドさんの母親のカディアトゥさんが、この20年を振り返った。
「銃で撃たれて殺されたと聞いた瞬間、世の中が止まった。撃ったのが警官だと分かったときは信じられなかった」とカディアトゥさん。41発中19発が命中し、アマドさんは即死。遺体は足の裏にも弾痕があったという。
警官4人は第2級殺人などの容疑で逮捕されたが、市控訴裁判所は抗議行動の高まりが公正な裁判を不可能にしたとして、州都オルバニーの裁判所で裁くことを決定、2日間の審議の末、4人全員が不起訴となった。
カディアトゥさんは2000年、人種差別による殺害は公民権違反に当たるとして市と4人の警官を相手取り提訴。和解金で得た300万ドルを基にアマド・ディアロ財団を設立し、マイノリティーの子どもの教育支援活動を続けている。財団のスローガン、「母さん、大学に行くよ」は、カディアトゥさんがアマドさんから聞いた最後の言葉だという。