日本は世界でも有数に祝祭日(公休日)が多い
休みを取ることに“罪悪感”を持つなら、強制的に休ませるほかない。そう役人たちが考えたのならまだいいが、本当は、「働きすぎ」批判をかわすためだろう。
とはいえ、ここまで日本が個人の幸せを追求しない社会になってしまったら、もう「強制的」にそうするしかないだろう。
よく言われるのが、日本の祝祭日(公休日)の多さである。日本に来た外資系企業の人間がまず驚くのが、正月休みが1週間ほどもあること。そして、GW、お盆休みなどがあるうえ、成人の日、海の日、天皇誕生日など、国民の休日がいっぱいあることだ。実際のところ、「バカンス大国」と呼び声の高いフランスが年間9日、アメリカが10日なのに、日本は17日もある。
日本の祝日を定めているのは「国民の祝日に関する法律」で、1948年の制定時は計9日だった祝日は、いまや約2倍に増えた。こうなると、年休があってもなかなか取れない現実を、「祝日を無理やり増やす」ということで補ってきたともいえるだろう。
しかし、いまの社会は多様化し、国民が一律に休みを取るというシステムはもう古いといえる。スマホやPCなどに人々が常時接続され、仕事もITなしでは成立しなくなった世の中で、いまさら、みながいっせいに休むことが必要だろうか?
また、ITの発展は、プライベートと仕事の境界をあいまいにしている。結局、休んでも、多くの人がメールで仕事の連絡をしていたりするのだから、もはや、休日という概念すら無意味だ。IT、ハイテク企業のエンジニアたちは、会社でも家でもコードをつくっている。
仕事とプライベートを分ける働き方はなくなる
現代社会は働き方が多様化し、「24時間365日、常に誰かが働いている」という状況にないと成り立たなくなっている。したがって、こうした現実を踏まえて、休暇をどうするか考えていかなくてはならない。そう考えると、今回の年休の義務化は、そんなに大きな恩恵をもたらさないだろう。休みが少々取りやすくなる。ただそれだけである。
働き方改革というなら、いまの時代、そしてこれからくる時代に対応する改革でなければならない。最近、よく言われる「ワーク・ライフ・バランス」を考えれば、もはや休暇を取るということすら無意味だろう。 これからは、仕事とプライベートを分けるような働き方はなくなるはずだ。ITのエンジニアばかりではない、いまの社会では、たとえば子育てや介護、病気の治療などをしながら働いている人が大勢いる。こういう人たちには、仕事とプライベートの時間を厳密に分けることはできないだろう。役人の考えは古いし、保守的だ。それは、役所という職場が市場経済と関係なく、ほぼ人間関係だけで成り立っているからだ。しかし、民間はそうはいかない。生産性や効率を重視し、そのなかで自由な働き方を確立しなければ、競争から脱落してしまう。労働力も確保できない。
経済産業省や経団連主導で今年2月に始まった「プレミアムフライデー」というキャンペーンがある。これは、月の最終金曜は、午後3時に仕事をやめる。それに合わせて、企業がイベントやセールなどのキャンペーンを行って消費を喚起しようというものだが、いまのところ失敗に終わっている。それはそうだろう、いまさら、誰にも同じ行動を取らせることに無理があるからだ。
日本人の生産性を無視した働きすぎは、いったいいつ終わるのだろうか。
(了)
【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。
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