10回にわたる白熱の談判の末、日米両サイドが合意に達し、ようやく条約調印の準備が整った矢先、第11回目の談判でのこと。ハリスは日本の最高権力者 emperor と思って開国と条約調印の交渉を重ねていた相手が徳川幕府のトップ、つまり将軍に過ぎず、条約の許諾を下す最終決定権を握るのは「京都の朝廷におわす mikado」すなわち天皇であると伝えられる。調印はまた延期だ。米国もハリスも完全に馬鹿にされた体である。
幕末の諸事情から交渉は二転三転
幕府高官との会議を通じて日本の国情や日本人の思考回路についてもかなり学習したつもりのハリスだったが、さすがにこれには怒りを超えて失意のどん底に突き落とされたようだ。「諸君が私に話したことは、談判の歴史に先例のないことであり、それは児戯(じぎ)に類し、日本を治めるような賢明な政治家のなすべきことではない。重大事件を軽視するもので、大統領に甚だしい憂慮を与えるに違いない」と言い放ち、両国が尽力して作成した条約をこんな形で拒否するなら、談判などしないほうがましだった、と怒りをぶちまけた。
そもそも幕府はハリスとの第3回目談判で京都の重要性を否定し、「(京都は)ミカドの都として有名だが、ミカドには金も政治的な力もないし、国民に尊敬される者でもなく、価値なき人物に過ぎない」などと嘲笑していた。それを覆しての「ミカド勅許がマスト」の通達。ハリスが、大老の堀田正睦をはじめ岩瀬忠震、井上直清ら条約交渉の全権委員に対して多大な不信感を抱いたのも当然である。こうなってしまった裏には幕府と朝廷との対立や京都が尊皇攘夷の拠点だったなどさまざまな事情があった。とはいえ、どうみてもこれは日本側の大きな失態だ。
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ハリスが日本語を学ぶために作成した「50音表」。彼流の発音表記が添えられている。少しでも日本人と交流したかったのだろう(ニューヨーク市立大学シティカレッジ資料室蔵)
失意から瀕死の床に
結局、ハリスは幕府の要請をのんで、勅許が出るまで60日間待つことにしたが、その間に英国が接近して開国を迫っても、必ず米国と先に条約を結ぶことを条件とした。ところが、あまりのショックと激務ゆえ、急激に体調が悪化。急ぎ蒸気船で下田に戻って治療に専念するも、重態に陥りチフスの症状もあった。
すでに、14回にわたる江戸城での交渉でハリスの人格と熱意は幕府中に知られ、誰からも尊敬される存在だった。ここで彼に逝かれては国の運命にかかわるとばかり幕府は当代最高のオランダ医学系名医を下田に派遣。医師たちは万が一の場合には切腹を覚悟し、刀を病床の傍に置いて手当を施した。
その甲斐あってハリスは危うく一命をとりとめる。体力が万全でないにもかかわらず、1858年3月、医師の制止を振り切って江戸に戻ったが、堀田正睦はまだ朝廷との交渉に難航して京都に行ったままである。思ったより条約反対派の勢力は強く、堀田は再度、条約締結の期限延長をハリスに要請する。
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ハリスらが徳川幕府に献上した米国からの贈り物。世界の最新情報や当時の最先端技術を伝えるものばかりだった(ニューヨーク市立大学シティカレッジ資料室蔵)
ついに日米通商条約締結
ここで大老が井伊直弼に交替して、今までの堀田中心だった交渉相手が全員メンバーチェンジ。さらに事態は混迷を極めるが、そんなさなかの6月13日、米蒸気船ミシシッピー号が下田に入港。「イギリスとフランスの連合軍6隻隊が開国を迫るべく日本に向かっている」との情報を得たハリスはこれを材料に、いかに英仏両軍が強大かを幕府に強く訴え、米国との条約締結は急務だと唱えた。
さすがに狼狽し、これは国難の恐れありとみた井伊大老以下老中は、朝廷の勅許を待たずしての調印に踏み切る。こうして、半ば強引な形で1858年7月29日に締結されたのが、日米修好通商条約である。
タウンゼンド・ハリスが命を張って獲得した日本の経済的開国。彼にとっては、ミッションコンプリートではあったが、日本にとっては議論を尽くした上での総意による締結ではない。ハリスが手引きした開国そのものが、そこから始まる近代日本の混乱と苦難をはらんでいる。
合理主義者で進歩的かつ自由と平等を愛する19世紀のニューヨーカー教育者、タウンゼンド・ハリスと、まだ封建主義が色濃く残る徳川日本との奇妙で困難なコラボが歴史に節目を生んだことは、今後100年の日米関係を見通す上でも決して見逃せないポイントだろう。
(了)
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