連載216 山田順の「週刊:未来地図」新元号「令和」ともに大不況の到来か? (上) 「平成」30年間の低迷はさらに深刻化する

 4月1日、平成の次の元号「令和」が発表された。これで、5月1日から「令和」という新時代になる。
 しかし、元号が変わったからといって時代が変わるわけではない。時の流れは絶えることなく続いていく。そのなかで、歴史の変わり目は、元号とは関係なく訪れるのだ。しかも、元号は日本だけの話だ。
 それでも、私たち日本人は元号によって時代を区切って考える。はたして、「令和」に込められたような時代が訪れるのだろうか? 平成の30年間を振り返れば、とてもそのようには思えない。

GW明けに「令和大不況」の到来か?
 
 「平成とはどんな時代だったのか?」と聞かれて、ずばりひと言で答えれば、「失われた30年」である。平成の30年間を通して、日本は低迷を続けてきた。これに、異を唱える人はいないだろう。
 となれば、令和の時代は、低迷から抜け出し、明るく希望を抱ける時代になってほしいと、誰もが願うはずだ。しかし、本当にそうなるだろうか?
 現状を見れば、そうなる可能性はほとんどない。日本経済はいま、平成の最後に顕在化した景気後退を受けて、どん底に落ちようとしているからだ。
 政府はまだ「戦後最長の景気拡大」を修正していない。しかし、昨年来、足元の数字はすべて悪化している。株価は低迷、輸出は落ち込んで貿易収支は赤字に転落、国内消費も冷え込み、食料品の値上げも始まっている。内閣府が発表する「景気動向指数」も、月を追うごとに悪くなっている。
 そんななか、囁かれているのが、GW明けの「大不況」突入だ。もしそうなれば、これを「令和大不況」と呼ぶほかないだろう。

5月20日発表のGDPはマイナス確実

 例年4月下旬には上場企業の3月決算発表が本格化する。とくに5月上旬は、多い日には一日に数百社が決算を発表する。この決算がまず注目である。現時点では、いい数字はまったく聞こえてこない。
 今年のGWは、新天皇の即位があり、10連休となる。慶事が続くわけだが、GWで一時的に消費が上向いても、その後は一気に落ち込む可能性がある。国民は、一気に節約モードに入るのではないだろうか。
 GW明けの5月20日に控えているのが、1〜3月期のGDPの発表だ。ここでは、大幅なマイナス成長になることが予想されている。そうなると、改元に伴う新時代への期待感が一気にしぼんでいく可能性が強い。

ランキングの上位30社に日本企業ゼロ

 それにしても、平成の30年間で、なぜ日本はここまで低迷してしまったのか? それを再認識するために、「失われた30年」を、まずはデータで振り返ってみたい。
 平成元年(1989年)は、バブル経済のピークだった。当時の日本企業の時価総額は、全世界の企業の時価総額の半分を占めていた。1989年の世界時価総額ランキングのトップはNTTである。それに続き2位が日本興業銀行、3位が住友銀行、4位が富士銀行、5位が第一勧業銀行で、5位までを日本企業が占めていた。
 それ以下でも、7位に三菱銀行、9位に東京電力、11位にトヨタ自動車といった具合で、なんと上位30社のうち22社が日本企業だった。国家の経済力の源泉は企業であり、企業の繁栄こそが国家の繁栄の証である。
 ところが、平成31年(2019年)の最新ランキングでは、上位30社に日本企業は1社も入っていない。上位を占めているのはマイクロソフト、アップル、アルファベット(グーグル)、アマゾンなどの米企業と、アリババ、テンセントなど中国のIT系企業である。上位30社中、米企業が22社、中国企業が4社で、日本企業といえば42位にかろうじてトヨタが入っているだけだ。
 GDPはどうだろうか?
 日本の世界に対するGDPシェアは、ピーク時の1995年に18%を占め、平成2年(1990年)でも14%あった。しかし、現在は6%にまで低下。平成の30年で3分の1に転落している。それでも総額は5兆ドル余りで、アメリカ21兆ドル、中国14兆ドルに続いて第3位だが、このままいけば、あと数年で4位以下に転落するのは確実だ。

日本企業の広告と製品があふれた時代

 1980年代のバブル経済のころのことを、私はいまも鮮やかに思い出す。あの当時、世界どこにいっても、日本企業の広告があふれていた。
 企業の広告といえば、世界一の場所はなんといってもニューヨークのタイムズスクエアだが、1980年代は、日本企業が独占していた。ソニー、ミノルタ、東芝、JVC、日清フーズなどの広告看板が、米国企業を押しのけてネオンを輝かせていた。
 しかし、いまや米国企業、中国企業、韓国企業などにポジションを奪われ、ソニーぐらいしか残っていない。昨年、東芝が撤退したことがニュースになったほど、日本企業の凋落はひどいものがある。
 広告だけではない。日本企業の製品「メイド・イン・ジャパン」は世界を席巻していた。
 1992年、当時、私は芸能週刊誌の編集者で、松田聖子の不倫スキャンダルを追いかけてニューヨークに行き、相手のジェフ・ニコルズを独占インタビューしたことがある。このとき、現地メディアの記者に「NYになんの取材に来たのか?」と聞かれ、「マツダセイコ」と答えると、「クルマと時計の取材か?」と言われて驚いたものだ。
 彼は、マツダをクルマのMAZDA、セイコを時計のSEIKOと思ったのだ。バブルは崩壊したとはいえ、日本企業はまだまだ強かった。
 日本の衰退を肌で感じるようになったのは、平成7年(1995年)の阪神大震災、地下鉄サリン事件のころからだ。その翌年には住専問題が起こり、平成9年(1997年)には金融危機が起こった。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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