連載221 山田順の「週刊:未来地図」 「天皇」報道に関する数々の疑問 (上) 新時代「令和」が始まって改めて思う

 5月1日から新元号「令和」の時代になった。そして、数々の祝賀行事が行われ、その都度、洪水のような大報道がなされてきた。
 しかし、それらの報道には数々の疑問がある。今回は率直にそのことを述べたいと思う。天皇制と天皇に対する敬意は日本の根幹だから、これを続けていくことには大賛成だが、メディアが天皇と天皇制の歴史を正確に伝えないことは残念でならない。

令和とともに始まった皇室の大報道
 
 5月1日、令和元年が始まった。そして、数々の行事が行われ、GWは異例の10連休となった。この間、私はほぼ毎日、テレビ、新聞による皇室大報道を見続け、何度も日本人として感慨を新たにした。また、上皇・上皇后となられた明仁陛下と美智子妃殿下の歴史的映像に何度も涙した。お二人が被災地を慰問訪問する姿に、自然と涙があふれて止まらなくなった。
 ただし、このような報道のなかで、数々の疑問も浮かんだ。
 今回の生前退位をメディアは「江戸時代後期の光格天皇以来約202年ぶり、憲政史上初めてのこと」としたが、これには疑問はない。
 ただ、そのような歴史を語るなかで、天皇制と皇室祭祀の数々がすべて千年以上続く伝統に基づくものと言われると、本当にそうなのかと言いたくなるのだ。

天皇は日本の「元首」なのか?

 今回の報道では、一部でしか報じられなかったが、海外から見れば、天皇は日本の「元首」(head of state)である。なぜなら、日本国に赴任して来る外国の大使は「大使の信任状」(「この者を大使として認めてください」という自国元首からの書簡)を持って、宮中に参内し、天皇に提出するのが決まりだからだ。大使の信任状というのは、元首から元首に出すものだから、これを見れば天皇は元首ということになる。
 しかし、日本国憲法には、国家元首の規定がない。明治憲法は明確に規定していたが、現行憲法は「象徴」としただけで、天皇の地位を定めていない。
 もちろん、日本の元首は誰かをめぐっては、これまで度々論争があったが、この問題は放置され続けてきた。となると、もし学校の試験で「日本の国家元首は誰か?」という問題が出たら、その答えは「規定がないので誰でもない」が正解になる。その意味で、日本は不思議な国である。
 世界どこの国にも元首はいる。アメリカやフランスでは大統領を元首にしている。つまり、トランプ大統領はアメリカの国家元首だ。また、王室がある英国は、いまのエリザベス女王が国家元首である。
 となると、元首でもないうえ、明確な地位を与えられていない天皇は、それを仕事と考えれば、本当に酷な存在である。生まれながらにして否応なく天皇となり、プライバシーはほぼゼロで、曖昧な概念である「象徴」という仕事を求められる。政治的な権力はないにもかかわらず、総理大臣の任命、法律の公布などの「国事」に携わらなければならない。
 とはいえ、もし天皇を元首と明文規定し、政治的な権限を一部でも与えたらどうなるだろうか? おそらく、天皇は対立する政治勢力の政争に利用されることになるだろう。そうなれば、社会は分断される恐れがある。
 天皇がいるということが、日本社会がまとまる大きな基盤になっているのだ。
 なぜ、天皇の地位がこんな曖昧にされたのかといえば、それは、戦後アメリカ占領軍と日本の支配層の利害が一致したからだろう。マッカーサーは、日本の武装解除と戦後行政を円滑に行うために天皇の権威を必要とした。その一方で、日本の支配層は、自分たちの支配と既得権益を継続させるために天皇制を必要としたのである。
 しかし、このようなことを詳しく解説したメディアはなかった。

天皇制は本当に「万世一系」なのか?

 メディアは「天皇制は日本古来の伝統であり、このような皇室を今日まで続けてきた国はない」と言う。いわゆる「万世一系」は“日本の宝”だと言う。
 たしかに、1974年までは、公称で3000年万世一系を続けたエチオピア皇室は、いまは存在しない(最後の皇帝ハイレ・セラシエは軍のクーデターで銃殺され帝国は崩壊した)。また、中国でも欧州でも王国、王朝は続いてきたが、途中で途絶えたり、王家の交代があったりした。一つの血統がここまで長く続いた例はない。
 しかし、本当に続いてきたかに関しては、これまで多くの疑問が提示されている。とくに、神武天皇以前の最初の数代は架空の物語かもしれず、また、奈良時代以前の天皇に関しては断絶の可能性があり得るからだ。この時代の日本の歴史は、ほぼ「古事記」「日本書紀」(記紀)の記述にしか求めるものがないが、それは天皇家が権力を掌握した後に中国に倣って編纂したものだから、全部、信じるわけにはいかない。
 とはいえ、記紀の内容は、古代の天皇たちの長すぎる寿命がおかしい点をのぞいて、歴史的な流れとしてはそれほど不自然とは思えない。初代の神武天皇は日向の国から奈良(大和)にやって来て“クニ”をつくった。その子孫たちは、近隣の王たちと縁結びして勢力を拡大し、10代目の崇神天皇が大和を統一した。さらに、吉備や出雲を服属させ、曾孫のヤマトタケルは関東まで勢力を広げた。こうして、仲哀・応神天皇の代になると、北九州を服属させ、さらに朝鮮半島南部まで勢力を拡大させた。
 ただし、5世紀後半の武烈天皇には、血縁の男子がなかった。そのため、応神天皇の子孫で越前にいた継体天皇に皇位を継承した。この継体天皇の代で、血統は途切れているのではないかと、「万世一系」否定派は言う。ただし、その後は、天皇の血統はおそらく途切れてはいない。
 しかし、こうした経緯をメディアは詳しくは伝えず、古代史を神話として棚上げにすることで、「天皇制は世界で日本だけの制度」であることを強調する。
 もちろん、奈良時代以後、日本という国が揺るぎない統一を維持し続けたのには、途切れず続く皇室の存在が大きかった。このことを私たちは誇りに思わなければならないが、それとは別に、歴史的な真実も知りたいのである。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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