NY屈指の老舗宝飾店
5番街の中心に本店を構える宝飾品ブランド「ティファニー&カンパニー」は、2018年に史上空前の年商44億ドル(約4900億円)を記録した。ニューヨーク発のグローバルブランドの中では最も長い歴史を持つ。
創業は今から182年前の1837年。チャールズ・ルイス・ティファニーがジョン・B・ヤングとともにダウンタウンのブロードウェーに開業した文房具や宝飾品の専門店が発端だ。2人は値引きに決して応じない定価制を初めて小売業に導入。ビジネス手法にも重要な転換をもたらした。1848年、フランスで起きた2月革命で海外に大量に流出した貴族の宝石類を買い集め、ダイヤモンドなどの高級品を主力商品に据えると、ティファニーの格付けは急上昇。指輪では、1886年にダイヤモンドを6本の爪で支えカット全体の美しさを見せる「ティファニーセッティング」を考案したところ大受け。ダイヤ指輪のスタンダードを塗り替えた。以後、20世紀から現在に到るまで、ほぼ不動の名声を維持している。
ティファニー製品の魅力は、自社工房で受け継がれてきた妥協を許さないデザインだ。洗練と気品をたたえつつも可憐なフォルムは、100年以上ファッションの最先端を走り続けてきたニューヨークならではである。実はニューヨークヤンキースのロゴマークもティファニーのデザイン。決してセレブや金持ちの御用達に甘んじず、一般大衆の支持を大切にする。それが、このブランドの長寿の秘密だろう。5番街の本店とて、さほど敷居も高くなく、店員もフレンドリーだ。在住者の私たちにはミュージアム感覚で好きなときに商品を「鑑賞」に行ける特権がある。眩いばかりのダイヤや金のネックレス、銀食器や花器、文房具…ガラスケース越しに目をやるだけで、ため息が出る。
もう1つのティファニー
そんなティファニーにも長い歴史の中に埋もれた商品がある。「ティファニーグラス」の名で知られるガラス工芸だ。画才に恵まれていた創業者の息子、ルイス・コムフォート・ティファニー(1848〜1933年)が生みの親である。芸術家になりたかったルイスは家業の継承を拒み、当時の名だたる画家に師事。やがて、室内装飾、特にガラス工芸の世界に魅せられてゆく。ブルックリン区の「シルズガラス工芸」で3年間みっちり修業し1879年、父親の資本を基にガラス製造工房を創設。6年後、ティファニーの本流業務に左右されない別会社「ティファニースタジオ」を立ち上げ、1893年にはクィーンズ区コロナに巨大な新工房を移築、ブランド「ティファニーグラス」を立ち上げた。
ちょうどその頃、ヨーロッパではアールヌーヴォーが大流行。草花や女性など柔らかで有機的な曲線をルールにとらわれずに自由に表現する様式がパリでもロンドンでも引っ張りだこに。ルイスのガラス工芸はまさにそれに呼応するように植物や自然をふんだんに取り入れている。
さらにルイスは「ファブリールグラス」と名付けた玉虫色の光沢を放つガラスの製法を開発。ステンドグラスやガラス花器、ランプシェードに採用し、これがティファニーグラスの十八番となった。ニューヨークに豪奢なアパートを構える富裕層は競ってファブリールグラスを購入。金持ちの邸宅を飾る調度品として欠かせぬ存在となった。メトロポリタン美術館には、「水蓮」「庭の風景」「マグノリアと水仙」など彼の最盛期のランプやステンドグラスが数多く収蔵されているのでぜひ、ご覧いただきたい。
市内に残るルイスの作品
ティファニーグラスは第1次大戦直後(1918年)あたりに人気のピークを迎えるが、流行の変化とともに一気に衰退。世界大恐慌の前年に当たる1928年には、コロナにあったルイスの工場は倒産してしまった。
メトロポリタン美術館以外にもルイスの作品を身近に見られる場所がある。例えば、マジソン街と71丁目の角にある聖ジェームズ教会だ。教会入り口右横の小さな祭壇にある3枚で1組になったステンドグラスを見てもらいたい。同教会の熱心な信徒だったスミザー家のために作られたものだという。3人の天使たちの顔を俯瞰するような構成がユニークで、ファブリール技法による淡いガラスに自然光が差し込んで生まれる色合いは、美術館で見るのとはまた違う味わいがある。
90年前に潰れてしまったクィーンズ区のティファニー工場の廃屋は長らく放置されていたが、近年、取り壊され。跡地には立派な公立小学校が建った。通称「ティファニースクール」。「うちは『ティファニーでお勉強』よ!」と、生徒も父兄もさぞかし鼻高々だろう。校舎のロビーには、旧工場解体から出た大量の割れガラスを使ったモザイクのパネルが飾られている。
(了)