連載234 山田順の「週刊:未来地図」 「老後2000万円」問題より深刻! (上) GPIFの資産運用失敗が引き金となる年金崩壊 

 金融庁の報告書が「老後は年金だけでは暮らせない。2000万円が不足する」としたことをメディアが伝えると、その後、大騒ぎになった。国会もいまだに紛糾している。
 しかし、今回の騒動が起ころうと起こるまいと、すでに年金そのものは、事実上破綻している。制度は維持できても、給付金額は下がり、給付年齢も引き上げられるのは確実だからだ。このことはすでにこの連載でも何回か伝えてきた。
 そこで今回は、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)に積み立てられた資金がいずれ消滅してしまうという「年金崩壊」について述べてみる。

国民の多くは年金不足の現実を知っている

 今回の年金騒動の発端は、金融庁の審議会が6月3日に発表した「高齢社会における資産形成・管理」という報告書。このなかに、「老後20~30年で最大2000万円の不足額が発生する」など、年金だけで生活することが厳しい実情が述べられていたからだった。そこで、「国民をなめてんのか、いい加減にせえよ」という声が巷(ちまた)にあふれた。
 しかし、メディア、野党が騒ぎ、それにのった国民がいくら怒ろうと現実は変わらない。すでにもう国民の大多数が年金はもたない、年金だけでは暮らせないということを知っている。ただ、それを知っているのに、今回のように上からあからさまに言われたから怒ってみせたということだろう。実際、私の見たところでは、多くの人はもう諦めており、この現実を受け入れるしかないと思っている。
 ただ、そうはいっても、なにもできない人のほうが圧倒的に多い。それで結局、「なるようにしかならない」と思って暮らしているのではないだろうか。とくに、年金受給者を支える現役世代の若者たちは遠い先の老後のことに現実感がない。ただ、「何十年も先にもらえるものなんか、いまから払えるか」と、とくに国民年金では未払いが増加している。その率は、なんと4割に達していて、これだけでも年金はすでに崩壊しているのだ。

「100年安心」は年金で暮らしが安心ではない

 それにしても日本の政治は政争だけになり、参議院選挙への影響を考えた自民党が、麻生太郎金融担当相に報告書の受け取りを拒否するという前代未聞の“快挙”に出たのには驚いた。こんな手があったのかと、私は唖然とした。
 野党は、この“快挙”に「100年安心は嘘だったのか」と追及しているが、「100年安心」は、年金で100年暮らしが安心なのではない。100年間、年金制度はもつというだけの安心だ。それはそうだろう。年金制度そのものは給付金額をどんどん引き下げるなどすれば、それこそいくらでも持続できる。生活の100年安心と年金制度の100年安心は、別問題なのである。
 「100年安心」とは、自民党と公明党が主導して2004年に実現した年金制度改革のことを指す。この改革では、主に次の3点が決まった。

(1)保険料の上限を決めて、その範囲で年金の給付水準を自動的に調整する「マクロ経済スライド」を導入する
(2)積立金を100年かけて取り崩す
(3)給付水準は現役世代の手取り収入額(ボーナス込み)との比較(所得代替率)で50%以上を確保する

 はたして(3)がいつまで維持できるかは疑問だが、少なくとも現時点では、年金制度を持続させていくことだけは既定路線となっている。年金制度そのものをなくし、税金による社会福祉の一環としてしまう。あるいは、現在の賦課方式から積み立て方式に変えるなどの大変革は行わない(行えないが本当か)というのが、政府の方針である。つまり、問題が顕在化するたびに先送りして、弥縫策だけですますということだ。

年金給付の鍵を握るGPIFの年金積立金

 そこで、国民がいちばん気にしなければいけないのが、年金財政がいまどうなっているのか? ということだろう。ご承知のように年金財政は基本的に賦課方式で運営されており、現役世代が納めた保険料は、そのときの年金受給者(高齢者)への支払いに充てられている。しかし高齢社会が進み、それだけでは足りないので税金から 補填(国庫負担金)が行われている。さらにそれでも足りないので、これまで積み立てられた年金積立金を取り崩していかねばならない。これが年金財政のざっくりした現状である。
 で、この先のことを考えると、このままなにもしないなら年金財政は積立金がなくなった時点(あるいはなくなる前の時点)で、必然的に保険料率を上げるか受給額を下げるか、または国庫負担金を増やすか、あるいはその全部を行わざるを得ないということになる。つまり、そうしなくてもすむようにする鍵を握るのが積立金の運用である。これを行っているのが、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)である。
 では、GPIFはいまどれほど積立金を持っているのだろうか?
 政府の発表によると、2018年12月末時点で150兆6630億円である。ただし、この積立金は運用次第で増減する。ただ、そのことはひとまずおいておき、年金財政全体を見ると、この約150兆円は毎年、7兆円を取り崩さなければならない。というのは、現時点で国民からの保険料が約35兆円、国庫負担が約12兆円に対し、受給者に対する年金支給額が約54兆円だからだ。つまり差し引き約7兆円が足りないのである。
 では、この不足額の約7兆円を積立金の運用でカバーできるだろうか? 結論から言えば、できるわけがない。なぜならどう見てもいまの世界で年率5%の運用益を上げることは不可能に近いからだ。単純計算だが、もし運用益がゼロとすれば、毎年7兆円の不足が続くと、15年間で100兆円以上もの積立金が消えていく。20年間では、ほぼゼロになってしまう。となると、2040年ごろには、いまの制度における年金支給ができなくなるのは小学生でもわかると思う。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。
2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。翻訳書に「ロシアンゴッドファーザー」(1991)。近著に、「円安亡国」(2015 文春新書)。

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