LGBTが「存在しない」という
前提を変えたい
今年のプライドマーチには、日本最大のLGBT啓発イベント「東京レインボープライド(TRP)」が初めて山車(フロート)を出して参加した。共同代表を務めるのは、トランスジェンダーの杉山文野さん。生まれたときに割り当てられた性は「女」だったが、性自認は男。違和感に苦しんだ末、男性として生きることを決意した。現在1児の父親でもある杉山さんに、パレード前日の気持ちを聞いた。
杉山 文野
1981年8月10日、東京都新宿区生まれ。小学校から高校まで女子校に通い、早稲田大学に進学。2004年、フェンシング日本女子代表として世界選手権に出場した。自身の心と体の性の違いについて語った自叙伝「ダブルハッピネス」を06年に出版し、LGBT活動家として発信を始めた。その後約2年をかけて世界一周し帰国。10年ほど前から講演も行う。14年、TRP共同代表理事に就任。渋谷区の同性パートナーシップ制度の制定にも関わった。
ありのままのご自身を出すことに対し背中を押された経験はありますか?
大きなきっかけはなく、いろいろな経験の積み重ねです。最初は自分が何者か分からず、レズビアンとは違うな、と思っていたときに深夜番組で、「おなべバー」特集をやっていて「これかな」と思ったのが始まりでした。中学生のときです。大学に入ってから実際に飲みに行って、番組に出ていた方にお会いしました。目の前に現れたのはカッコいいお兄ちゃん。「あ、こういうことができるのか」と思いました。
その後、友達にカミングアウトを受け入れてもらった、旅に出て海外の人に触れた、手術をした、ということもそうです。実は自分でもしっくりくるようになったのは30歳を超えてからです。それまではいろんな段階の中で悶々としたものがずっとありました。
そんな中で一番大きな「自己肯定」を感じたのは外食関連の会社に就職してから。職場ではとにかく忙しくてコテンパンにやられました。男女関係なく、みんな心や体を壊して辞めていく中で、上司から「意外と動けるようになってきた」とほめられたんです。充実感がありました。
それまで本を出してから、「性同一性障害なのに頑張ってる」とか「マイノリティーなのにすごい」とか言われていましたが、結局同じ土俵で語られていなかったことに気付きました。いち社会人として評価されたことがうれしかったんです。
LGBTを巡る日本の現状は、米国と比べて遅れていますか?
だいぶ変わってきています。LGBTという言葉の認知度も上がり、実生活レベルの感覚も良くなってきている。昨年子どもが生まれて役所に届け出たとき「じつはトランスジェンダーで」と言ったら、すっと理解してもらえ、協力的に対応してもらえました。
でも、ルールとリアルがちぐはぐな印象です。日本でLGBTに対する法律って唯一、性同一性障害特例法だけで、LGBに関しては何もないんです。ということは、そういう人たちが「存在しない」前提でルールが成り立っている。だからいじめや差別、偏見が生まれて、自己肯定感が持てなくて、と、全てに関わってきます。2級市民としてのスティグマを取り払って初めて、同じ土俵に立つと思うんです。婚姻平等、差別禁止法、性同一性障害特例法の条件緩和。この3つはやりたいと思っています。
それが活動の最終目標ということですね。
はい。今は時間的な軸と物理的な軸を伸ばしていくイメージ。パレードも少しずつ盛り上がりを見せてきて、2012年に5000人だった参加者が、今年は20万人。でも「盛り上がったね、大成功」という話ではないんです。年に1回の1日のパレードではなくて、それが365日に広がるようにしたい。あとは地域格差もあります。パートナーシップ条例がある場所が今、ぽつぽつ出てきました。最初は小さな飲食店みたいな場所から始まり、コミュニティー、地域という段階。これを国全体に広げたいです。
こういう議論の中で話題になったのは渋谷区のパートナーシップ条例です。この一番の功績は「そういう人たちがいる」という前提に変わったこと。生活のベースに基本的人権があり、一緒に暮らしていることを明確化することが大切です。
一方で、米国、特にNYの印象はどうですか?
表現の自由さを感じます。電車の中で音楽をかけて歌っていたり、パフォーマンスがいきなり始まったりする。でも「良いんじゃない」という雰囲気で。「本当に自由に表現して良いんだな」と思いました。
日本人は「みんな同じ」という考えが原点にあると思うんです。でもNYは「みんな違うのが当たり前」だから、その中でどうやって共存するのかを考えようという感じがします。「他人は他人、私は私」というスタンスは良いなと思いますね。
〝パレードで盛り上がっている姿を見せ、
「日本も変わってきている」と示せれば。〟
息苦しさを感じて日本を離れる人が多い中で、日本に踏みとどまり制度を変えたい、という思いの根源は?
2006年に本を出した後、日本から逃げるように旅に出ました。性的少数者が身近にいることを伝えたくて出した本だったのに、結局どこに行っても「性同一性障害の人」と言われて。「海外なら暮らしやすい場所があるかもしれない」という淡い期待を持って2年ほど放浪しました。
でも海外では「She」なのか「He」なのかと問われ続けました。南極船に乗るときですら、男性と部屋をシェアするのか、女性とのシェアかでもめて。そのとき「僕はこんな世界の果てでも、性別から逃げられないんだ」と思いました。性別だけではなく、自分自身から逃げられない。なら場所を変えるんじゃなくて、今いる場所を生きやすく変えていく、ということが大事なんじゃないかと思ったのが現在の活動の原点です。
ただ、人によっては日本に見切りをつけて、それこそNYに来ている人、海外に出ているLGBTもたくさんいると思うんですよ。でも、日本のプライドシーンも盛り上がってきましたし、変われるだけの可能性もかなり見えてきています。
今回パレードで日本から参加して盛り上がっている姿を見せて、「日本も変わってきているんだ」と示せれば。日本に見切りをつけてしまった人が、「母国にまた帰れるかもしれない。だったら応援しよう」と感じてもらえたらうれしいですね。
(Interview: Yuriko Anzai / 本紙)