これは大いなる罪だ。よりによって断食道場すぐ前の鰻屋から、ほどよく焦げたタレの匂いが立ち昇ってくるとは。
“Oh, man!”
だいたい広大な敷地があるというのになぜ鰻屋の前に道場。わざと? これから3日間この煩悩と戦わねばならないのかと思うと断食への固い決心もうっかり揺らぎそう。いや〜参った!
1日目の午後はのんびり境内巡り。随分と歩いても一部を廻った程度、広すぎる。疲れたので道場に戻って布団を広げゴロンと横になった。実のところ滞在中にお坊さんからいろいろな教えが受けられることを期待してきたのだが、基本的には「放ったらかし」のようだ。写経も1回で終わりだし、何度境内を巡っても同じだし、3日間どう過ごそうか? 携帯もない、ネットもない、音楽もない、ニュースもない、風呂もない、冷えたビールもない、それに境内から1歩も出られない。ないない尽くしだ。与えられたのは布団と水とあり余る時間だけ。そりゃまあ3泊4日で6400円なんて超格安な料金だから当然か。まあだけど、畳の部屋はいいもんだ。表の雑踏が耳に心地よい。目を閉じれば参道のにぎわいがまぶたに浮かぶ。ここは日本、あゝやっぱりいいな。それにしても腹減った。お腹がギューギュー鳴ってる。なんとも恨めしい鰻の匂いを嗅ぎながら、それでもいつしか眠り込んでいた。
2日目
4時半起床は楽勝だった。気分も至極良好。断食中にうれしいのは朝の目覚めが良いこと。胃の中が空っぽになると体が軽い軽い。洗面所の冷たい水でタオルを濡らして体を拭き、身支度を整え本堂へ向かった。まだ薄暗いが意外と大勢の人が集まっている。若い人も多い。列を成してお坊さんが入ってきた。何が始まるのだろう? 小僧さんもいる。そしてロウソクに順々火が灯され、静寂が炎を仄かに揺らし始めたそのとき、
「ドゥオ~ン、ドゥオ~ン」
本堂を轟かす太鼓の音が波打った。中心にある祭壇では護摩用と思われる火が焚かれ、炎が巨大な本堂の天井に昇る。すると読経が厳かに始まり、地鳴りのような低いお坊さんの声が響いた。護摩のお札が次々と炎にくべられていく。いちばん後ろから興味津々で見ていたぼくは、この迫力に唖然とした。正直、朝っぱらから肩苦しそうな「勤行」などうれしく思っていなかったが、護摩の炎とお坊さんの読経にいつしか引き込まれ、荘厳でスピリチュアルな朝の空気が空っぽの胃のなかにすーっと流れ込んでいるようだった。
つづく
Jay
シェフ、ホリスティック・ヘルス・コーチ。蕎麦、フレンチ、懐石、インド料理シェフなどの経験を活かし「食と健康の未来」を追求しながら「食と文化のつながり」を探求する。2018年にニューヨークから日本へ拠点を移す。