連載266 山田順の「週刊:未来地図」  景気悪化が鮮明に!(中)なぜ日本だけが過去30年間も低迷し続けたのか?

先進国の「長期停滞」でも日本は例外

 各国の経済成長の比較で、さらに特筆しなければならないのが、2000年以後のこの20年である。
 ITバブルが崩壊した2000年前後の景気後退期には、各国とも景気は一時期的に低迷した。また、2007年以降の金融不況、そして2008年のリーマンショックでも各国の成長は低迷した。しかし、それは一時的なもので、各国とも再び経済成長を取り戻してきた。
 しかし、日本は円高から円安転換して数値が改善しただけで、実質的にまったく成長していないのだ。
 とくに、安倍政権がさかんに喧伝してきたアベノミクスの効果は、GDP成長率にほとんど反映されていない。
 2013年に年率2.0%を一時的達成したが、以後はずっと低迷を続けている。どうやっても、主要国の成長率に追いつかないのである。このままいくと、近い将来、G7国から外れる可能性もある。
 主要国のGDP成長率が軒並み数パーセントと低くなり、新興国のような経済成長ができない「低成長」に陥ったことに関して、アメリカの元財務長官ローレンス・サマーズは「長期停滞論」を唱えた。これをひと言で言うと、「主要国には需要がない」、つまり人々のモノへの欲求が減っているからということになる。
 しかし、日本は主要国以下の「長期停滞」であり、その原因が「需要がない」ことではない。人々は買いたいモノがないわけではなく、買えなくなっているのだ。
 なぜなら、日本人の給料はGDPと同じく、増えていないからだ。

よく働いているのに給料が上がらない
 
 20年前、30年前と比べて、日本人はいまでもよく働いている。今年になってようやく残業を減らすための「働き方改革」法案が成立したように、日本人にとって働くことは生きることと同じだ。
 しかし、日本人の給料は、この30年間まったく増えなかった。
 国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、1990年の平均給与は425万2000円(1年勤続者、以下同)となっている。じつは、この額は現在とほとんど変わらない。
 平均給与の推移を見ると、1990年以降はしばらく上昇したが、1997年の467万3000円をピークに下がり始めると、歯止めがからなくなった。そうして、ようやく2009年をボトムに反発、2018年には440万7000円まで回復した。
 しかし、この額は1990年に比べて15万5000円高いだけ、ピーク時の1997年からは26万6000円も低いのだ。
 OECDなどの統計を見ると、この20年間で先進国はどこの国も給料は上がっている。EUやアメリカでは、平均して2倍ほど上がっているのに、唯一、日本の給料だけが上がっていない。
 これでは、政府がいくら「景気はおだやかに回復している」「戦後最長の拡大期にある」と言っても、景気を実感できるわけがない。ただ、デフレでモノが安くなる傾向が続いてきたので、生活レベルをなんとか保てていただけである。
 そのデフレをアベノミクスは「脱却」するとした。年率2%のインフレを達成するとして、日銀は異次元金融緩和に入った。しかし、本当にインフレになったら、給料を上げない限り、国民生活は困窮してしまう。それなのに、平気でこんな目標を掲げたわけだが、それは6年以上たったいまも達成されていない。
 これは「やるやる詐欺」に等しい。
 目標が達成できなかったら、民間企業では経営陣が変わる。あるいは、責任を取らされる。しかし、国家の経済政策において、これまで責任を取った政治家はいない。

世界のトレンドに気がつかなかった
 
 では、なぜ日本はこのような「失われた30年」に陥ってしまったのだろうか?なぜ、成長できなくなってしまったのだろうか?
 それは、1990年以降に起こった世界のトレンドに大きく出遅れ、そのビハインドをいまだに取り戻せていないからだろう。少子化や人口減、高齢化と社会が変化していくのをわかっていながら、なにも有効な政策をとらなかったことも大きな要因だ。
 ソ連が崩壊して、グローバル化が一気に進み、「ヒト・モノ・カネ」の動きが自由になったのに日本経済はその流れに乗れなかった。とくに、金融はひどかった。また、中国の台頭によるサプライチェーンの変化、IT革命とインターネットの普及、製造業での水平分業の拡大などでも日本は遅れをとった。
 つまり、日本の政治と経済は世界のトレンドについていけなかったのだ。その結果、日本の産業は構造転換に失敗し、イノベーションを起こせなくなった。
 私は、この20年間、出版プロデユースをして、何冊かその類の本を出したが、いずれも、このことを克明に描いたものだ。富士通の行き詰まりでは「内側から見た富士通、成果主義の崩壊」(城繁行・著)、ソニーの凋落では「技術空洞」(宮崎琢磨・著)、半導体産業の凋落では「日本半導体敗戦」(湯之上隆・著)、シャープの崩壊では「シャープ液晶敗戦の教訓」(中田行彦・著)を出した。
 いずれも、大きな反響があった。
 経済学者の野口悠紀雄氏は著書「平成はなぜ失敗したのか」のなかで、さまざまに日本の低迷の要因を分析している。しかし、結論的に言えば、野口氏が言うように「日本は努力したのに世界に取り残されたのではなく、世界で大きな変化が生じていることに気がつかなかったために取り残された」ということだろう。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。近著に、「円安亡国」(2015)「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

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