東京にはエリート地方にはヤンキー
日本経済の低迷は、とくに若者たちを直撃し、彼らのなかに「東京に行ける一部のエリート層」と「地元に残らざるを得ない多数のヤンキーという名の貧困層」をつくり出した。それは、2000年代に入ってから顕著になり、とうとうマイルドヤンキーというくくりで一括できる層を生み出したのである。
ヤンキー文化研究の第一人者として知られる、東北大学大学院教授の五十嵐太郎氏は、「週刊現代」の記事のなかで、次のように述べていた。
〈「学歴が上がるにつれ、ヤンキーは周囲からいなくなっていきます。東京に住み、学歴が高く、収入の高い人は、物理的にヤンキーと接する機会がない。しかも、地方から東京に出てくる人が減っているとすれば、今後ますます階級格差は固定化されるはずです。
一方で郊外や地方に住むヤンキーたちには、そもそもエリートが何の仕事をし、ふだん何を食べ、どんな遊びをして暮らしているのかまったく分からない。上流の文化が存在するということさえ知りません。これまで日本では、アメリカやヨーロッパのように経済以外、つまり文化の面で露骨な階級格差が表れることはありませんでしたが、社会構造が変わりつつあるのでしょう」〉
このように見れば、地方ヤンキーたちは、仕方なく「半径5キロ圏内」で生活し、ITの進展によるデジタル社会の底辺に追いやられているのがわかる。
ツイッターは、いつからか「バカ発見器」とされ、「バッカッター」と呼ばれるようになった。マイルドヤンキーが増えるにつれて、アイスケースに入った写真を投稿した店員、客を土下座させた店員、遊園地でアトラクションを運行停止にしてしまった大学生、下着姿になった同級生の写真を投稿した高校生などが次々に出現するようになった。
いずれも、日本の貧困化を象徴する出来事である。
完全な「階層社会」となってしまった日本
貧困層をマイルドヤンキーなどという言葉で捉えている限り、本当の貧困の実態はわからない。本当の貧困層、つまり最底辺に生きる人間は、マイルドヤンキーたちより下の階層で生きているからだ。
日本の貧困をテーマとして追求し、数々の著作を著してきたノンフィクションライターの鈴木大介氏の「最貧困女子」(2014年刊)は、圧巻の本である。
この本には、日本の最貧困のリアルがこれでもかと生々しく描かれていて、私は衝撃を受けた。
月刊誌「VOICE」(2015年
3月号)に掲載された鈴木氏のインタビュー記事〈社会が知らない「最貧困女子」の実態〉(現在、産経新聞が運用するサイト「IRONNA」で再掲載中)は、さらに衝撃的だ。
https://ironna.jp/article/959
以下、そのなかから、核心的な部分を引用したい。
〈―「マイルドヤンキー」という若者たちの存在が知られました。その層と鈴木さんが追ってきた層とは重なる部分もありますか。
鈴木 いや、まったく別です。マイルドヤンキーは、強い地縁や血縁をベースとした生活で満足している低所得の若者層のこと。「お金がなくても、地元の仲間とつるんで楽しくやっていりゃいいじゃん」と語る郊外や地方の若者たちですね。僕も取材したことがありますが、彼ら彼女らは「地元を捨てて上京したら負け」といった意識をもっています。ミニバンに乗り合わせて国道沿いのショッピングセンターやリサイクルショップに行けば、お金をかけず何でも手に入れることができる。「なのに、この経済的に逆風のなか、なんで家賃の高い東京に行かなきゃならないんだよ」となる。〉
〈知られざる若者の実態は次々と表出しています。でも、日本が格差社会だと私は思いません。新書を出していろいろな読者からリアクションをいただきながら、この国は格差社会ではなく、階層社会だったのかと実感します。
私の印象をざっくり言葉にすれば、まず上から、高所得層、プチセレブ層、中流層がいて、下に低所得層と貧困層、そのまた下にもっとも見えにくい最貧困層がいる。
https://foimg.com/00065/CHdjZj
*日本の社会階層図(「IRONNA」より)
各階層のあいだには厚い壁が存在し、それが互いの世界を知ることを困難にしている。私は最貧困層の実態を著しましたが、高所得層やプチセレブ層の方から「先進国の日本でそんな酷い生活をする人がいるはずがない」と言われてしまうことがあります。セックスワークの世界でしか生きていけない女性のリアリティーが、どうしても伝わらない。「国民皆保険で、生活保護制度もあって、中学までは義務教育が保障されているこの国にいて、やむなく最貧困層に追いやられるなどあり得ない」と思うようですが、現実には「あり得る」のです。
「貧乏と貧困は別物」という認識が大事
最近、「上級国民」という言葉がよく使われるようになった。今年の4月、池袋で死者2人・負傷者8人を出した自動車暴走事故の犯人が元高級官僚だったことで、当初、匿名になったりして報道が緩かった。このことで、ネットで国民の怒りが爆発した。そして、ついに「上級国民/下級国民」 (橘玲・著)という本も出た。
いまの日本は、明らかに階層社会になって、その底辺にいるのが、貧困層と最貧困層だ。
鈴木氏のインタビュー記事からの引用を続ける。
〈―中流層以下の反応はどうですか。
鈴木 低所得層の人たちも最下層のことは見えていません。「最貧困女子」を刊行していい反応をもらえたなと思ったのが、風俗の世界でセックスワークの女の子たちを雇う側にいた男性の感想です。「俺が現役だったころも鈴木さんの本に書いてあるような子たちはいたけど、そんなに苦しんでいるとは認識してなかった。「こいつ、ブスだし、だめでしょ」など酷い言葉を使ったりしたことを、すごく後悔してる」と。
―同じ風俗の世界で働いていても、最貧困層は理解されていないのですか。鈴木 理解されていません。階層が違うとわかり合うことはきわめて難しい
のです。〉
〈たとえ低所得でも、地縁や血縁、地域の支援があれば、貧困までの状態にはなりません。年越し派遣村を率いるなど反貧困活動をなさっている湯浅誠さんたちが言い続けてきたことですが、貧乏と貧困は別物なのです。貧乏はたんに低所得であること。低所得でも家族や地域との関係性がよくて、助け合って生きていけるのならけっして不幸ではありません。〉
〈対して貧困は、家族、友人、地域などあらゆる人間関係を失い、もう立ち上がれないほど精神的に弱っている状態です。そのつらさは満たされている者にはわからない。たとえば、地縁や血縁を守ることに力を注いでいるマイルドヤンキーからすれば、「その子(貧困層)の努力が足りないからだ」と見えるでしょう。ありがちで、まったく現実とそぐわない自己責任論です。〉
ここで鈴木氏が言っている「貧乏と貧困は別物なのです」という言葉は、極めて重要だ。貧乏は低所得であることなので、所得を増やすための支援や政策をすれば、解決できないことはない。とはいえ、景気は政治の力では左右できないから、この世界から貧乏がなくならないのは、ある程度は仕方ないともいえる。
しかし、貧困、とくに最貧困層は社会の歪み、暗部が生み出しているので、社会全体として対処しなければならない。
(つづく)
【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。
主な著書に「TBSザ・検証」(1996)「出版大崩壊」(2011)「資産フライト」(2011)「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)など。近著に、「円安亡国」(2015)「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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