連載379 山田順の「週刊:未来地図」飛べない「三菱ジェット」は日本凋落の象徴か(中)

「形式証明」取得のために必要な人材

 三菱の株主総会で発表されたとおり、6月30日をもって、スペースジェットの開発最高責任者のアレクサンダー・ベラミー氏(40歳)は、三菱を去った。
 ベラミー氏は、2016年3月に三菱航空機に入社、2018年4月に最高開発責任者に就き、新しい試験機の製造を指揮してきた。当初、その試験機は2019年には完成するはずだったが、1年遅れて今年の1月にようやく完成。3月に、名古屋空港で初飛行を行った。
 しかし、その直後に新型コロナウイルスの感染拡大が起こり、飛行機はいま名古屋空港に留め置かれたままになっている。
 なぜ、ベラミー氏は三菱のスペースジェット開発の最高責任者となり、また、こんなにも早く会社を去らなければならなかったのか? その理由を突き詰めると、三菱の迷走ぶりが浮き彫りになる。
 ベラミー氏は、三菱に来る前、飛行機産業としてとは三菱と競合するカナダの重工業メーカー、ボンバルディアに籍を置いていた。ボンバルディアでは、小型旅客機「Cシリーズ」(100〜140人乗り)の開発マネージャーとして、計7機の飛行試験機の開発に携わってきた。ボンバルディアの前は、英国の防衛航空宇宙関連企業「BAEシステムズ」に勤務。まさに、飛行機開発のプロと言えた。
 そんなプロ人材を三菱が必要としたのは、それまで遅々として進まなかった「型式証明」(Type Certificate:TC)の取得が大きなハードルとして残されていたからだ。
 形式証明というのは、民間航空機を対象とした制度で、機体の設計が安全性基準に適合することを国が審査・確認するもの。この認証が取れないかぎり、飛行機は実用化されない。したがって、飛行機メーカーにとっては、型式証明が取得できてようやく開発作業が完了する。
 つまり、これを逆に言うと、形式証明を取れるように、飛行機の設計・開発を行わなければならないということになる。ところが、三菱は開発だけに注力して、このプロセスを熟知している人材がいなかった。

客席が90席クラスの開発に専心してきた

 ベラミー氏が入社した2016年時点で、三菱はすでに試作機の試験飛行を終えていた。しかし、形式証明を得るには不十分な設計で、変更点が何箇所も判明した。
 この段階で、当初計画よりはるかに遅れていたため、当時の三菱重工社長だった宮永俊一氏(現会長)が決断し、ベラミー氏のような外国人人材を引き入れたのである。
 宮永氏は、三菱には技術はあるが、旅客機製造に関する知見と開発経験のある人材がいないと考えた。そこで、外国人社員を急速に増やし、全従業員約1800人のうち約500人まで外国人従業員を雇い入れた。そのトップに立ったのが、ベラミー氏だった。
 ベラミー氏は、それまで三菱が心血を注いで開発してきた試作機をまかされた。これが、現在、「M90」(客席が90席クラス)と呼ばれるものだ。
 しかし、この「M90」には、大きな問題があった。
 三菱は、客席が90席クラスの「リージョナルジェット」(regional jet :航続距離2000〜3000キロメートルの小型ジェット旅客機)が認証されると予測して開発してきたが、それが甘かったと判明したのだ。

なぜ最高開発責任者は退任させられたのか?

 アメリカのリージョナルジェットに設けられている「スコープクローズ」(scope clause)という条項(clause)がある。これは、航空会社とパイロットの労働組合の間で設けられる労働協約の中にあるもので、リージョナルジェットは、最大離陸重量39トン以下、座席数76席以下に制限されている。
 この制限がいずれ緩和される。座席数は増える。そう三菱は考えて、試作機をつくり試験飛行も重ねてきたのである。これは、三菱にかぎらず、他のメーカーも同じだった。
 しかし、昨年、この見通しが立たなくなった。緩和がない可能性が高まり、三菱としては、「M90」を諦めざるをえなくなったのである。 2019年6月、三菱は急遽、「M100」(客席が70席クラス)を発表した。これは、従来のスコープクローズの条件を満たすものだ。同時に、三菱は、名称を従来の「三菱リージョナルジェット」(MRJ))から「三菱スペースジェット」(Mitsubishi SpaceJet:SJ)」に改めることを発表した。
 前記したように、今年の3月、「M90」は完成し、試験飛行を行った。しかし、そのままお蔵入りとなった。つまり、コロナ禍がなくとも、「M90」は飛べない見通しになったのである。そして、今年の5月、三菱は主力モデルになるはずだった「M90」の開発の休眠を発表した。
 こうなると、「M90」の最高責任者、ベラミー氏の役割は終わりとなり、お役御免となったのである。
(つづく)

【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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