同盟国なのに日本を徹底して叩いた
日本人から見ると、戦後のアメリカの日本と中国に対する態度はあまりにも不公平である。第2次世界大戦で敗北した日本は、もはやアメリカの脅威ではなくなった。そのためアメリカは、ソ連との冷戦期は、日本の産業の復活を許し、アメリカ市場への自由なアクセスを許した。
ところが、それによって日本経済が高度成長を遂げ、アメリカに迫る勢いを見せるようになると、態度をグルっと変えて日本を潰しにかかった。1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出版されて以後、アメリカの日本に対する政策は、同盟国に対するものとはとても言えない、ローマ帝国が属州に科した政策よりもひどいものになった。
日本国は世界一の半導体産業を潰され、その結果、家電産業まで衰退を余儀なくさせられた。コンピュータ産業も潰された。貿易不均衡の是正と称して、「スーパー301条」が適用され、その影響は全産業に及んだ。金融分野では「BIS規制」が押し付けられ、金融機関は軒並み力を失った。
1985年の「プラザ合意」では、ドル防衛のために円高をのまされた。その結果、バブルが発生し、それが数年で崩壊した。しかし、バブル崩壊後も、「日米構造協議」は続けられ、「日本は修正主義国家、日本の資本主義はクローニー資本主義だ。よって、その構造を変えなければならない」と、あらゆる面で“改革”を迫られた。
こうして、日本の力が衰えるのと反比例して、アメリカが放置した中国が台頭したのである。
アメリカは3度も日本を潰している
なぜ、アメリカは同盟国、属国にすぎない日本を叩き、体制を異質にする共産主義国家の中国には寛容だったのだろうか?
それは、中国では儲けられるが、日本ではあまり儲けられない。そう考えたからなのか。
もし、そうだとすれば、アメリカにいまさら「天命」を持ち出されても、日本人としては素直に聞く気にならない。この際、中国を徹底して潰してくれなければ、日本人としては憤懣の行き場がない。
思えばアメリカは、これまで3度も日本を潰している。アメリカが日本に対して、ある程度、寛容だったのは、ペリーによって開国させられた後、日露戦争までである。
日露戦争に日本が勝つと、アメリカは和平の仲介をしつつ、日本への警戒感を強めた。日本に満州利権を独占されると、ヘンリー・ハリマン(アメリカの鉄道王)などが計画していた鉄道建設ができなくなるからだ。そんななか、アメリカ本土では「日本人排斥運動」が進み、ますます日本人は嫌われるようになった。
1918年、第1次大戦が終わると、アメリカは英国に「日英同盟」の破棄を要求した。英国も日本の中国進出を危惧し、もし日米紛争が起こると自動的に日本側に立たなければならなくなるので、ワシントン軍縮会議でアメリカに同意した。
日英同盟の破棄は、日本にとっては大きなダメージだった。これ以後、日本は世界で孤立することになったからだ。同盟がないまま帝国主義の世界を生き抜くことは至難の技だ。日本は、自滅に向かって突き進むことになった。これが、1回目のアメリカによる日本潰しである。
2回目の日本潰しは、言うまでもない太平洋戦争だ。
日本が日中戦争を始めると、アメリカは中国側に立って中国を援助し続け、日本に中国からの撤退を要求した。これがのめなかったことが、対米戦争の最大の理由である。 こうして、日本はアメリカに戦争を仕掛け、アメリカは報復として最終的に原爆を投下し、日本を2度と立ち上がれないほど徹底的に叩いた。
ところが、ここで解せないのは、日本と戦った中国の蒋介石政権(国民党)を、アメリカが最後まで援助しなかったことだ。その結果、日本とほとんど戦ったこともない中国共産党が中国統一を成し遂げてしまった。第二次大戦の勝者でもない国が、いつの間にか戦勝国となり、その後「反日政策」を続けることになってしまった。本当に、歴史とは馬鹿げている。
もちろん、日本潰しの3回目は、前記したプラザ合意と日米構造協議である。(P00に続く)
欧州も日本も中国を増長させた
中国をここまで増長させたのは、アメリカばかりではない。欧州、とくにドイツがそうだ。また、日本も大いに加担したので、アメリカばかり責められない。ドイツは早くから中国市場に目をつけ、フォルクスワーゲンは中国市場で売れる外車No.1になった。つまり、中国で儲けられると、世界中が中国に投資するようになった。日本も同じだ。
イデオロギーよりマネーのほうがはるかに強い。これを端的に示したのが、日本の「天安門事件」後の対応だった。
中国共産党政権は、1989年、民主化を求めて北京の天安門広場に集まっていた多数の市民を武力で弾圧した。死傷者数は数千人と言われている。
この弾圧に、西側は猛反発、G7の7カ国が中心となって、中国との交流や経済取引、援助を全面的に停止したため、中国は孤立した。もし、この制裁措置が続けば、その後の中国の驚異的な経済成長はなかっただろう。
ところが、日本政府は1992年に、中国側の求めに応じて天皇陛下を訪中させたのである。これを機に、世界各国は中国への制裁を解くことになった。鄧小平は、改革開放路線を邁進することになった。
天皇訪中後、日本の大企業の多くが中国に進出した。日本には、中国でつくられた製品がどっと入ってきた。そうして、日本の経済力は衰退の一途をたどった。「失われた10年、20年、30年」は、日本が自ら招いたとも言える。
日本は中国に寝返ることもできる
こうして歴史を振り返り、日本の今後を考えると、やはりいちばん問題になるのが日本の立ち位置だろう。日本はアメリカと違って、地政学的に中国とは断然近い。しかも、日中関係は、米中関係と違って、有史以来続いてきている。
アメリカがアジアに登場して、まだ2世紀ほどしかたっていないのだ。
したがって、これまで中国を大きくするだけ大きくして、手に負えなくなると「戦争だ」というアメリカに、まともに付き合えるだろうか。自由と人権、民主主義という共通の価値観だけで、アメリカ側に立って、対中包囲網に加わっていいのだろうか。
とはいえ、現状では、答はあまりにも簡単だ。日本に双方を股にかけるという選択肢はない。あらゆる感情、わだかまりを捨てて、勝つ側につく。これしかない。
日本は孤立してやっていける「独立国家」ではないからだ。
ただし、なにもかもアメリカの言いなりでは、日本の未来は暗い。このままでは、中国包囲網に対する貢献として、莫大な上納金を取られ、さらに中国との経済関係を経つことで、大きなダメージを受ける。
となれば、日本が忘れてはならないのは「歴史カード」だ。それは、何千年もの間、アジアで続いてきた中華秩序への回帰である。要するに、日本は中国に寝返ることもできる。もちろん、自由、人権、民主主義がなければ日本の繁栄はないのでそんな選択はないが、そんなカードもあることを、アメリカ側に伝えておく必要がある。
もし、日本が寝返って中国につけば、世界第2位と3位連合だから、アジア圏は間違いなく日中連合につく。世界覇権をアメリカから奪うことも可能になる。日本はそんなカードも持っているのだ。
ただ、こんなことを言える政治家は、いまの日本に一人もいないだろう。
(了)
【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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