連載598 山田順の「週刊:未来地図」もはや完全に時代遅れ 五輪が「オワコン」となったこれだけの理由(完)

連載598 山田順の「週刊:未来地図」もはや完全に時代遅れ 五輪が「オワコン」となったこれだけの理由(完)

 

理由(10)五輪スポーツは遺伝子の戦いに変質

 今回の東京五輪に、ロシアは国として参加していない。ソチ冬季五輪で発覚したドーピングで、「世界反ドーピング機関」(WADA)により、2022年まで主要な国際大会から締め出されてしまったからだ。そのため、潔白が証明された選手だけが、「ロシア・オリンピック委員会」(ROC)の旗の下に東京にやって来た。

 このロシアの例が示すように、もしコロナ禍がなかったら、今回の五輪でもっとも注目されたのはドーピングである。

 なぜなら、いまや五輪選手はスポーツ科学、医学の発達により、ほとんどが「肉体改造」をとげているからだ。ドーピングは、クスリ(薬物)によって強健な肉体つくるために行われてきたが、最近は、「脳ドーピング」や「血液ドーピング」「遺伝子ドーピング」まである。  脳ドーピングは、薬物によって精神状態を高揚させる。血液ドーピングは、自分の血液を保存しておいて赤血球を自分に輸血する。遺伝子ドーピングでは、たとえば筋力を向上するようなある特定の遺伝子をゲノム編集で細胞に入れる。

 なぜ、遺伝子ドーピングのような方法まで編み出されたかというと、身体能力は遺伝によるところが大きいことが判明したからだ。  たとえば、体操の内村航平選手、卓球の張本智和選手や伊藤美誠選手などは、親も同じ競技でトッププレーヤーだった。つまり、誰もが薄々気がついているように、その能力は多くが「生まれつき」によるものだ。 

 ゲノム解析が終わり、遺伝子研究が進んだいま、もはやこのことは疑いようのない事実となった。一流のアスリートは一流のアスリートの親からしか生まれない。こういった2世、3世アスリートが、科学的なトレーニングと健康管理により参集しているのが五輪である。

 つまり、現代の五輪は、一般の人間が楽しんでいるスポーツをはるかに超えたところで成立している。このままいくと、五輪は「遺伝子の祭典」になりかねない。トップアスリートの世界は、もはや「努力」「根性」「がんばり」だけでは通用しないのである。そんな五輪が、はたして本当に価値があるだろうか?

 

理由(11)五輪に代わるビッグイベントが目白押し

 いまや五輪だけが、世界的なスポーツイベントではない。五輪に匹敵するビッグイベントもいくつかある。その筆頭は、サッカーのFIFAワールドカップだろう。2019年に日本で開催されて盛り上がったラグビーW杯も、世界的なビッグイベントだ。世界陸上も、近年は大きな盛り上がりを見せている。

 また、テニスやゴルフは、メジャー大会のほうが、五輪よりもはるかに価値がある。

 こう見てくると、五輪というのは、あらゆるスポーツの寄せ集めにすぎない。とすれば、各競技にはそれなりの世界選手権(W杯)があるのだから、なぜそれとは別にチャンピオンを決めるのに五輪をやるのか、よくわからない。

 つまり、五輪から祝祭性がなくなったら、その価値は薄れるだろう。今回はコロナ禍により、祝祭性はほぼ消滅した。また、利権五輪がむき出しになったことで、一般の人々のお祭り意識も薄れてしまった。 

 この東京を境に、五輪は本当に岐路に立たされていると言っていいだろう。はたして、パリ、ロサンゼルス、ブリスベンと、五輪はどうなっていくのか? いまは、想像がつかない。ただ、これまで通りでは続かないのは確かだ。

五輪ばかりか「万博」も完全なオワコン

 さて、最後に書いておきたいのが、いまや五輪と同じくオワコンと化した「万博」(EXPO)だ。日本は、この五輪の後、2025年に招致した「大阪万博」を、国を挙げてのビッグイベントと位置付けているのだから、常軌を逸している。

 いまや万博は、五輪と同じく立候補する国(都市)がほとんどなくなった。先進国の都市はまったく手を挙げない。かろうじて、発展途上国や権力をアピールしたい強権国家がやりたがるだけだ。これは、大阪開催が決まった経緯をみれば、はっきりする。

 大阪と開催を争ったのは、ロシアのエカテリンブルク、アゼルバイジャンのバクーという、たったの2都市だけだ。エカテリンブルクはプーチン大統領が世界に発展を誇示したい工業都市、バクーは石油で儲かったカネで独裁者アリエフ大統領が金ピカを自慢したい首都である。

 当初、フランス(パリ)も立候補を表明していた。しかし、早々と辞退した。その理由は、「フランスの納税者がリスクを負わないという保証がない」からというものだった。つまり、国が税金を投入して開催する価値がないと判断したのだ。

 いまはネットにより、情報も技術も瞬時で共有できる。そんな世の中になったのに、わざわざ展示パビリオンをつくって観客を集める万博を行う意義があるだろうか?  それに、たとえば、「国際家電見本市」(CES、ラスベガス)、「国際モーターショー」(世界規模の自動車見本市、デトロイト、フランクフルトなどで開催)、「ハノーヴァーメッセ」(オートメーションなど世界最大の産業見本市)、「SLUSH」(IT関連のスタートアップのイベント、ヘルシンキ)、「モバイル・ワールド・コングレス」(世界最大規模のモバイル関連見本市、バルセロナ)など、万博以上に注目を集め、未来を示してくれるイベントは、毎年、世界中でいくつも開催されている。

 それなのに、日本では「官民一体の努力が実った」と、招致成功を美談にし、開催に期待を寄せている。いまの計画では、大阪万博には世界150カ国が参加し、2025年5月3日~11月3日の185日間開催される間に、国内外から約2800万人の来場者が訪れるという。こんな大甘予測では、日本はますます後進国化してしまうだろう。日本の将来が本当に心配だ。

(了)

 

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【山田順】
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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