連載631 山田順の「週刊:未来地図」 アメリカ覇権の衰退とドル危機の再来か?(中2)

連載631 山田順の「週刊:未来地図」 アメリカ覇権の衰退とドル危機の再来か?(中2)

(この記事の初出は8月31日)

歴史的に見てアフガンは「大国の墓場」

 それにしてもアフガンほど、不毛な地はない。なぜ、この地に大国は手を出し、その度に失敗してきたのだろうか。

 いまのアフガンの原点は、1747年にカンダハルに建設されたドゥッラーニー帝国にある。その後、首都はカブールに移り、19世紀になると、アフガンは大英帝国とロシア帝国の「グレート・ゲーム」の緩衝国となった。

 そのため、大英帝国は数次の「アングロ・アフガン戦争」で、この地の制圧を試み、間接的に支配するようになった。

 20世紀になり、1919年の第三次アングロ・アフガン戦争で、アフガニスタンは外国勢力から完全に独立し、君主制国家となった。その後、半世紀を経た1973年、君主ザーヒル・シャーが倒されて、アフガンは共和制に移行した。

 しかし、政情は安定せず、クーデターによって社会主義国家となり、1980年代になると、侵略して来たソ連とムジャヒディンの間で、「ソ連・アフガン戦争」が勃発した。この戦争は10年続いた。

 1989年、ソ連はアフガン戦争の影響もあって崩壊した。しかし、ソ連が去った後に、ムジャヒディンは内部抗争に入り、内戦が続いた。これを制圧したのがタリバンで、彼らは1996年に首都カブールを陥落させ、イスラム原理主義国家の樹立を目指した。

 しかし、2001年に「9.11」が起こると、アメリカが対テロ戦争の主戦場として乗り込み、今年まで約20年間支配を」続けてきた。アメリカは莫大な資金と軍隊を投じて、選挙を実施して民主政権を育てようとしたが、成功しなかった。アメリカが育てた政権は腐敗の温床となり、タリバンが首都に迫るとガニ大統領は大金を持ってUAEに逃亡した。

蘇るニクソン時代「ドルショック」の記憶

 タリバンがカブールを占領したのは、8月15日である。8月15日と言えば、日本人にとっては「終戦記念日」だが、もう一つ忘れてならないのが1971年8月15日で、この日、ニクソン大統領は、突如として、金(ゴールド)とドルの交換停止を発表した。

 いわゆる「ドルショック」(ニクソンショック)である。

 この日を持って、ドルは金と交換できなくなり、世界中の通貨はドルと同様に価値を担保する裏付けがなくなり、ただの紙切れとなった。しかし、ドルの「基軸通貨」(Key Currency)としての価値は下がらなかった。アメリカが世界一の経済大国であり、同時に世界覇権を手にしていたからだ。アメリカ軍は世界中に展開され、中東の石油はアメリカによって支配されていた。つまり、金の代わりにドルを担保するのは、発行国の経済力、軍事力、信用力=世界覇権となった。

 ドルショックの直接の原因は、ベトナム戦争にあった。この戦争による軍事費の増大が財政悪化を招き、金の国外流出が止まらなくなったからだ。当時もいまも、アメリカは「双子の赤字」(財政赤字と貿易赤字)を抱えている。ドルショックはこの解消を狙ったものだった。

 その後、1995年の「プラザ合意」などで、ドルの基軸通貨としての価値は維持されたが、基軸通貨が兌換紙幣でなくなったことで、金融危機がたびたび起こるようになった。1980~90年代のメキシコペソなどの「南米通貨危機」、1997年のタイバーツの暴落をきっかけにした「アジア通貨危機」は、その典型だ。

 また、「ブラックマンデー」、「日本のバブル崩壊」、「ITバブル崩壊」、「リーマンショック」、「金融緩和バブル崩壊」などのバブルの発生と崩壊による危機も、繰り返されるようになった。

(つづく)

この続きは10月19日(火)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。  ※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。


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