連載656 教育を変えられない絶望ニッポン もはや若者はこの国を捨てるほかないのか? (中2)
忘れられた「グローバル人材」教育
10年ぐらい前から、「グローバル人材」ということが盛んに言われるようになった。世界に通用する人材を育成することが重要だと、政官財をあげて言い出した。その結果、文科省は、2013年度に「グローバル化に対応した英語教育改革」を発表した。
そして、その具体策として、小学校では英語に慣れ親しむことを目的とした英語教育の実施、中学高校では英語教育のさらなる充実化、大学受験では2020年に大学入学共通テストでの英語4技能試験(読む・聞く・話す・書く)の実施が決定された。これには、TOEFLなどの民間試験が導入されることになった。
しかし、その後二転三転、準備不足もあり、今年の7月、文科省は2025年以降の大学入学共通テストにおける英語民間試験の導入を正式に断念することを発表した。あれほど叫ばれていた「グローバル人材」は、いったいどこにいってしまったのだろか。
今回の選挙の各党の教育に関する公約には、そんな言葉はどこにも出てこない。そればかりか、英語教育、プロミラリング教育、大学入試改革などもまったく言及されていない。
日本人の英語力、デジタルリテラシーが今後改善されなければ、日本の国際競争力はますます下り、少子高齢化が進むなかで、労働生産性はますます低下するだろう。給料は上がらず、経済復活など夢物語にすぎなくなるだろう。
システムとカリキュラムを改革せよ
ともかく、日本の教育には問題点がありすぎる。なによりも、完全にガラパゴス化し、国際的に通用しないことが最大のネックだ。ここの点を改革しないで、いくら教育を支援しても、公金をドブに捨てるのと同じことになる。
たとえば、支援金、給付金をもらって家庭が真っ先に行うのは、そのおカネを塾の授業料の足しにすることではなかろうか。いまや大都市圏の公教育は崩壊しており、塾通いをさせて中高一貫校に入れるのが当たり前になっている。この負担を、支援金、給付金は軽減するだけにすぎない。
しかし、塾通いで受験に成功したとしても、子どもに未来を生きる力は身につかない。
なぜなら、前記したように、現在の学校教育はITCが進んでいないうえ、英語教育、プロミラリング教育などがお粗末すぎるからだ。
プロミラリング教育は、キーボード入力やドラッグ&ドロップといったコンピュータの基本的な操作スキルを教えているにすぎない。
(つづく)
この続きは11月23日(火)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 ※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。