連載821 ロシアは必ず負けて衰退する! フィンランド冬戦争・継続戦争の教訓 (下)
(この記事の初出は6月28日)
日本と同じ枢軸側で第二次大戦の敗戦国
フィンランドが民族意識を高め、完全な独立国となったのは、第一次大戦の後半に起こったロシア革命の混乱に乗じて、1917年12月6日に独立宣言をしてからである。その後、フィンランドは今日まで、どの国の支配下に入ることもなく独立を守り続けてきた。
1939年から1940年にかけての冬戦争、1941年から1944年にかけての継続戦争を戦ったのも、独立を守るためだった。継続戦争では、ドイツの助けを借りたため枢軸側として第二次大戦の敗戦国となったが、この敗戦は日本とはまったく違うものだ。
日本人は、フィンランドが日本と同じ枢軸側だと知ると喜ぶが、フィンランド人はそんなことで日本に親近感は抱かない。
ただし、フィンランドにとっても日本にとっても、ロシアが宿敵であるということは一致している。歴史を見れば、ロシアは常に近隣諸国に隙があれば侵攻してきた。日本の場合、「日ソ不可侵条約」があり、「ポツダム宣言」によって敗戦を受諾しているにもかかわらず、ソ連軍に侵攻され、北方領土を武力で奪われた。
フィンランド人も日本人も、ロシアという国が約束を守らないということをよく知っている。
本と映画に描かれた冬戦争と継続戦争
では、ここから、フィンランド冬戦争、継続戦争を詳述していくが、その前に、私が参照にした本と映画を紹介しておきたい。まず、本は何冊もあるが、次の3冊を、もっとも参考にした。
・石野裕子『物語 フィンランドの歴史』(中公新書、2017):フィンランドの歴史に関する本は少ない。そんななかで、もっとも体系的にわかりやすくフィンランドの歴史を綴っている。大国に挟まれた小国が独立を勝ち取り、いかにして現在の先進国となったかが、端的にまとめられている。
・齋木伸生『冬戦争』(イカロス出版、2014):フィンランド冬戦争の全貌を、フィンランド軍の公刊史料等をもとに詳述した本。戦争経過、両軍の編制、陸海空軍の主要装備、人物の評伝などを織り交ぜ、豊富な写真、地図とともに解説している。
・梅本弘『流血の夏』(大日本絵画 、1999):日本語で書かれた唯一の継続戦争の戦史書。1944年夏、フィンランドに2度目の奇跡が起こり、ソ連との講和が成立する。フィンランド人の不屈の精神が勝ち取った奇跡で、フィンランドはかろうじて独立を保った。
続いて映画だが、ウクライナ戦争が起こり、フィンランドがNATO加盟を申請したことにより、次の2本のDVDはよく売れているという。
・『ウィンター・ウォー ~厳寒の攻防戦~』(2006):冬戦争の戦いを戦場の一兵士の視点を通して描いている。ハリウッド作品と違い、淡々と戦争の現実を描き、フィンランドの厳しい冬と戦争の悲惨さを知ることができる。
・『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(2017):継続戦争がいかに過酷な戦いだったかが、徹底して描かれている。フィンランド人の5人に1人が見たという、フィンランド映画史上最高の興行収入を記録した作品。
「独ソ不可侵条約」とその裏の秘密協定
フィンランドの冬戦争と継続戦争の二つの戦争を理解し、その教訓からウクライナ戦争の行方とロシアという国を知るためには、そこに至る前史が重要だ。すなわち、第二大戦前夜の欧州情勢である。
第二次大戦は1939年9月1日、ドイツがポーランドへ電撃侵攻し、それを受けてイギリスとフランスがドイツに宣戦布告したことから始まった。
この前提となるのが、ドイツのポーランド侵攻の直前に結ばれた「独ソ不可侵条約」である。ファシズム国家の総統ヒトラーと共産主義国家の指導者スターリンが手を結んだのだから、この条約の衝撃は大きかった。
しかし、この条約で重要なのは「秘密議定書」のほうである。その存在は、第二次大戦が終わるまで知られなかったが、このとき、ヒトラーとスターリンはお互いの利益範囲を決めたのである。
すなわち、両国の緩衝地帯とされるフィンランド、バルト3国、ポーランド、ルーマニアなどをどう分け合うかである。
2人が合意したのは、フィンランドとバルト3国、ルーマニアの北部はソ連、それ以外はドイツで、ポーランドは東西に分割するということだった。
したがって、この秘密議定書に沿って、ドイツ軍はポーランドに侵攻したのだった。
英仏の見殺しにされたポーランド
ポーランドに侵攻したドイツ軍の兵力は185万人。これに対しポーランド軍は95万人で2倍の差、戦車は2800両に対して700両で4倍の差、航空機は2000機対して400機で5倍の差だった。これではポーランドがドイツの侵攻を防ぎきれるわけがない。
ポーランド軍は総崩れとなり、首都ワルシャワはたちまちドイツ軍に包囲された。ウクライナ戦争で、キーウがロシア軍に包囲された状況と同じだ。
しかし、ウクライナはアメリカとNATO諸国の支援を受けて、首都防衛に成功した。しかし、ポーランドはワルシャワを防衛できなかった。このとき英仏は8月25日にポーランドと相互援助条約を結んでいたので、それに基づき9月3日にドイツに対し宣戦布告したものの、なにもしなかったからだ。ただ、黙って戦況を見ていただけだった。つまり、ポーランドは見殺しにされたのである。
この状況を見ていたソ連は、9月17日、東側からポーランドに侵攻した。ソ連とポーランドの間には1932年に結ばれた「ソ連・ポーランド不可侵条約」があったが、ソ連はまたしても条約を破ったのである。
(つづく)
この続きは8月1日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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