連載824  ロシアは必ず負けて衰退する! フィンランド冬戦争・継続戦争の教訓② (中2)

連載824  ロシアは必ず負けて衰退する! フィンランド冬戦争・継続戦争の教訓② (中2)

(この記事の初出は6月29日)

 

精鋭4個軍投入もことごとく撃退される

 

 スターリンは、現代のプーチンと同じように、小国を舐めきっていた。作戦期間を10日間ほどと考え、それでフィンランドを屈服させられると考えていた。
 しかし、実際にフィンランドに攻め込んでみると、フィンランド人は祖国のために命を省みずに戦った。
 国際世論の支持と軍事物資の援助はあったが、それだけでは戦争に勝てない。世界各国からフィンランドに届いた兵器は、蓋を開けてみると旧式なものばかりで、ソ連製を上回るものはなかった。
 それなのに、フィンランド軍が優勢に立ち回れたのは、「地の利」と、厳冬期という「季節の利」、それにソ連兵と違う「意識の高さ」があったからである。
 ソ連は精鋭とされるレニングラード管区の4個軍を投入し、圧倒的な戦力差で侵攻したものの、随所で立ち往生することになった。第7軍、第8軍、第9軍、第14軍の4軍のいずれもが進軍を阻まれた。
 第7軍は、カレリア地峡の国境にある「マンネルヘイム線」を突破して首都ヘルシンキを目指したが、ことごとく撃退され、総攻撃するたびに損害が増える一方となった。
 また、第9軍は北部のオウルを目指し、フィンランドを南北に分断するために中部のスオッムサルミを攻略したが、ここでフィンランド軍の大反撃にあい、ついに撤退せざるをえなくなった。この「スオッムサルミの戦い」は、1939年12月7日から翌年1月8日まで約1カ月間行われたが、第9軍の損害は戦死者と行方不明者合わせて約2万4000人に達した。
 まさに、フィンランド軍の完勝であり、このため「スオッムサルミの戦い」が冬戦争のシンボルとなった。ちなみに、この戦いに参加したソ連軍第44機械化狙撃師団は、ウクライナ兵多数で構成されていた。歴史の皮肉としか言いようがない。

将校を粛清しすぎて士気が低下

 開戦当初のソ連軍の敗退は、ウクライナ戦争初期にキーフ攻略に失敗したロシア軍とそっくりである。その敗戦には、前記したようにいくつかの理由が考えられる。
 ただ、ソ連側から見ると、おそらく最大の敗因は、軍が組織としてまとまりを欠き、士気が著しく低下したからである。
 ソ連軍には、戦略・戦術に長けたまともな指揮官がいなかった。これは、スターリンが、将校を片っ端から粛清したためである。スターリンは短気で、軍人の失敗をけっして許さなかった。
 戦争中の軍議で、国防大臣がスターリンを罵倒したという話が残っている。「あなたが士官を殺し過ぎたせいでまともに戦えない」と言われたスターリンは、さすがに彼を粛清できなかったという。

フィンンランドの冬を甘く見ていたソ連軍

 もう一つ、冬将軍に強いはずのソ連軍は、なぜか、フィンランドの冬を甘く見ていた。たとえば、道が雪で閉ざされても、湖の国だから凍りついた湖面を行軍すればいいなどと考えていた。
 しかし、この年のフィンランドの気温は例年より2度ほど高く、湖にはトラックが通れるほどの厚い氷が張らなかった。そのため、兵站は滞り、部隊は森のなかの舗装されていない狭い道を延々と長蛇の列で行軍することとなった。
 ウクライナで、戦車と歩兵部隊が道路を隊列を組んで進軍したのと同じである。そこを、対戦車用携行ミサイル「ジャベリン」や、トルコ製の攻撃型ドローン「バイラクタルTB2」で狙い撃ちにされた。
 フィンランド冬戦争では、この役割を狙撃兵(スナイパー)が果たした。
 フィンランド軍のこうした戦いを主導したのは、最高司令官カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム元帥である。彼は、開戦前に「マンネルハイム線」という防御陣を構築し、ソ連軍の侵攻に備えていた。
 そうして、開戦後は、このラインでソ連軍の進撃を食い止め、さらに、兵力の少なさを補うために、森のなかで狙撃兵が待ち伏せするなどのゲリラ戦を徹底させた。
 マンネルヘイム元帥は1944年に、フィンランドの第6代大統領となり、フィンランドの英雄としてヘルシンキ市内を南北に走る通りに、その名を残している。また、その通りに面した国立現代美術館キアズマの前に、馬に乗った銅像が建てられている。
 私は、ヘルシンキで行くたびにこの銅像の前を通る。そして、彼の言葉を思い浮かべる。
「自らを守りえない小国を援助する国はない。あるとすればなんらかの野心があるはずだ」

 

(つづく)

この続きは8月5日(金)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 


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