連載830 ロシアは必ず負けて衰退する! フィンランド冬戦争・継続戦争の教訓③ (中2)
(この記事の初出は6月30日)
ドイツの敗戦を見据えても動きがとれず
スターリングラード攻防戦後、ソ連はアメリカからの軍事物資の援助拡大を受けて、反転攻勢に転じた。フィンランド政府は、もはやドイツの勝ち目はないと見て、ソ連との戦争終結の方法を模索するようになった。
しかし、単独講和をした場合、ドイツの怒りを買う。暗中模索のなか、1943年は過ぎていった。
1944年1月、ソ連軍がレニングラード包囲戦でドイツ軍の包囲を打ち破ったため、2月にフィンランド政府はやむにやまれず、ソ連に講和を持ちかけた。しかし、ソ連の講和条件は厳しすぎて、とても飲めるものではなかった。
ソ連は、領土要求のほかに独力でドイツ軍を駆逐せよと要求してきた。しかし、それをすればまだ健在なドイツ軍との間の戦いとなり、国土は焦土と化す可能性があった。
フィンランドが逡巡しているうちに季節は過ぎ、6月が来ると、ソ連軍はとうとうフィンランド領内へ向けての再侵攻を開始した。
ソ連との講和のために一種の賭けに出る
この時期、西部戦線ではノルマンディ上陸作戦を成功させた連合軍のドイツへの大進撃が始まっており、ソ連軍も勢いづいていた。
しかし、フィンランド軍は冬戦争と同じく激しく抵抗し、善戦を続けた。ただ、ソ連軍はそれまでのドイツ軍との死闘で力をつけていて、戦闘技術が冬戦争当時からは格段に向上していた。また、季節も夏だった。
約1カ月の激しい戦闘で、ソ連軍は冬戦争では突破できなかったフィンランドの最終防衛ラインを突破し、ヴィープリを再占領し、さらにフィンランド領内へと迫った。このまま戦いを続ければ国は破滅する。しかし、無闇に単独講和もできない。そんな板挟み状況のなかで、フィンランド政府は一種のペテン的な賭けに出た。
これまでソ連との徹底抗戦を唱えてドイツからの援助を引き出してきたリスト・ヘイッキ・リュティ大統領が電撃引退し、フィンランド軍司令官のマンネルヘイムが新大統領に就任する。その就任の席で新大統領が「政権交代したことでフィンランドはこれまでの義務から解放された」と、宣言することにしたのだ。
講和がなければ東欧諸国と同じ運命に
リュティ前大統領は、ドイツとの同盟条約は個人的なもの過ぎないと主張をした。そのうえで、あえて戦争犯罪人として裁かれることになった。じつは、このペテン的賭けの発案者は、リュティ前大統領その人だった。
こうして、マンネルヘイム新大統領はソ連側の講和条件を丸飲みし、継続戦争で奪回した領土を再放棄し、さらにソ連が望む新しい領土を割譲したうえ、賠償金まで払うことにした。そうして、ドイツに宣戦布告して、枢軸側から離脱したのである。
この賭けによる分離講和の成立は、後から思えばフィンランドを救ったことになった。なぜなら、そのままドイツ軍とともにソ連と戦争を続けた場合、ドイツ敗戦後にソ連の勢力下に置かれ、共産化された東欧諸国と同じ運命をたどったに違いないからだ。
その意味で、この時点での講和は、まさにベストタイミングだった。
(つづく)
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※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。
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