連載904 岸田政権は「脱炭素」に無理解・無策。
なぜ日本は“環境後進国”に転落したのか? (壱ノ完)
(この記事の初出は11月8日)
日本のメディアの「脱炭素報道」の偏り
日本のメディアは、政府が脱炭素に後ろ向きなこともあり、これまで各国の動きばかりを伝えてきた。そのなかで、日本の立ち振る舞いがどう評価されているのかを常に気にしてきた。だから、「COP」が紛糾すると、それを大々的に報道し、「化石賞」などという本線でないことを大きく取り上げる。
しかし、猛スピードで温暖化が進んでいるなら、いくら「COP」が紛糾しようと、なにが決まったかを第一に伝えるべきだ。気候変動対策は、じつは経済対策であり、今後の国のあり方、国民生活に大きな影響を与えるからだ。
すでに、政府間合意として、「100カ国超によるメタン削減枠組み」、「24カ国による2040年ガソリン車販売禁止宣言」、「46カ国による石炭火力廃止宣言」などが決められている。
こうした取り決めを進めるにあたって、もっとも重要とされるのが、「カーボンプライシング(炭素の価格付け)制度」の導入である。この制度をどう整えていくかによって、削減量は大きく変化する。
カーボンプライシングの代表的な手法として、「炭素税」と「排出量取引制度」の2つがあるが、この2つとも日本は欧米に比べて遅れている。しかし、日本の多くのメディアは、この点をほとんど追及しない。
「パリ協定」以後、ルールの厳格化で紛糾
長引くウクライナ戦争によるエネルギー危機のなかで、欧州は一時的にせよ、脱炭素に逆行することになった。ドイツは、天然ガスの輸入先をロシアから切り替えることを余儀なくされ、その猶予期間において石炭火力発電と原発の再稼働を決めた。
また、アジア、アフリカの多くの国はまだ石炭火力発電に頼っている。中国などは、原発に加えて石炭火力発電を輸出している。そんななか、議長国がアフリカのエジプトということもあり、今回の「C27」は低調に終わるという見方が強い。
国連は世界各国に対し、公約として掲げられた2030年の削減目標をさらに引き上げることを求めているが、これまでのところ各国とも引き上げる気配は見られない。引き上げたくてもできないというのが現状だろう。
ただ、日本は欧州ほどのエネルギー危機に陥っていない。ならば、ここで思い切って再生可能エネルギーへの大転換に舵を切ってもいいのではと思う。
今日まで2015年の「パリ協定」に基づいて、気候変動対策が協議されてきた。「パリ協定」では、2020年以降の温室効果ガスの排出削減についての国際的枠組みが合意された。これにより、すべての国がこの合意を尊重することになった。しかし、「パリ協定」の枠組みは緩かった。各国が妥協できることを優先した大枠の合意だった。
そのため、その後の「COP」では、枠組み、ルールを厳しくすることなり、その都度、会議は紛糾するようになったのである。
やる気がまったく感じられない岸田政権
最近の「環境アクティビスト」たちによる温暖化抗議運動は過激化している。環境保護団体「ジャスト・ストップ・オイル」は、10月31日、ロンドン中心部でイングランド銀行などの建物にオレンジ色のペンキを吹きかけて歩いた。
「そんなことは、モスクワでやれ!」と言いたいが、彼らはともかく狂信的で、温暖化を止めなければ明日にでも人類は滅亡すると思っている。
はたして最終的な危機がいつ訪れるかは別として、対策がなければ危機が深刻化するのは確実だ。すでに、気候変動は穀物生産に深刻な影響を与え、気候難民を大量に生み出している。
そのため、2015年に「パリ協定」が結ばれたわけだが、「パリ協定」が結ばれるまで、世界各国が遵守してきたのは「京都議定書」である。「京都議定書」が策定された1997年の日本は、世界から一目置かれる“環境先進国”だった。
それが、いまや“環境後進国”に成り下がり、岸田政権にいたっては、気候変動対策は完全におざなりにされている。
岸田政権が先ごろ決めた「大型経済対策」は、ただのバラマキで、家計・企業の省エネへの取り組みを鈍らせ、脱炭素化を逆行させるのは確実だ。
高騰するガソリン代に対しては元売りに補助金を支給し、電気代、ガス代に対しては企業、家庭に補助金を出す。しかし、気候変動対策に対しては、たいした予算は組まれていない。岸田首相自身に、気候変動に対する危機感がまったくないとしか思えない。
いったいなぜ、ここまで日本は“環境後進国”に成り下がってしまったのだろうか?
*この続きは、次回、「岸田政権は「脱炭素」も無策なぜ日本は“環境後進国”に転落したのか?(弍)」で配信します。
(つづく)
この続きは12月5日(月)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。