アートのパワー 第3回 二人のアジア系アメリカ人の女性(上) 三世:アンナ・メイ・ウオン

アートのパワー 第3回 二人のアジア系アメリカ人の女性(上) 三世:アンナ・メイ・ウオン

 アメリカ造幣局は2022~25年にかけて、20世紀に活躍したアメリカ史上重要な女性20名の肖像を描いた25 セント硬貨を発行する。昨年は、作家/公民権運動活動家のマヤ・アンジェロウ (1928-2014)、物理学者/宇宙飛行士サリー・ライド(1951-2012)、女性初のチェロキー国長/アメリカ原住民/ 女性の権利活動家ウイルマ・マンキラー(1945-2010)、ニューメキシコ州参政権運動家/女性初のサンタフェ公立学校教育長ニナ・オーテラ・ワーレン (1881-1965)、そしてアジア系アメリカ人の俳優アンナ・メイ・ウオン(霜柳黄)(1905-1961)が選ばれた。黒人、白人、原住民、ラテン系、アジア系とアメリカの人種を代表している。

 

アンナ・メイ・ウオンが描かれた25 セント硬貨

 アンナ・メイ・ウオンは、ハリウッドで有名になった最初の中国系アメリカ人女優として知られている。サイレント映画の時代から、トーキー映画、テレビ、ラジオと幅広く活躍した。祖父は1855年に広東省から移民した商人で、両親はアメリカ生まれの二世、ロサンゼルスで洗濯屋を営んでいた。家では台山語で育ち、中国語の補習校に通った。映画製作所の近所に住んでいたことで子供の時から撮影現場に入りびたり、「CCC」 (Curious Chinese Child好奇心旺盛な中国人の小娘)とあだ名を付けられていたそうだ。14歳でエキストラとしてサイレント映画に初出演、18才(1923)でマレーネ・ディートリッヒ主演『上海特急』に出演、翌1924年 にはダグラス・フェアバンクス主演『バグダッドの盗賊』で脇役。その役は典型的なドラゴンレディ(Dragon Lady)だったが、出演時間は短いながら映画評論家の目に留まり知られる様になった。

 

アンナ・メイ・ウオン

 アメリカやヨーロッパでファション界のトップスターとして知られるようになっても映画の主役は貰えず、悪女、妖婦といったドラゴンレディの役しか回ってこなかった。1935年、ノーベル賞を受賞したパール・S ・バック(アメリカ人宣教師の娘として中国で育った)の『大地』が映画化されることになり、ようやく望みの役につけると期待したが、主役の阿蘭はドイツ生まれのルイーゼ・ライナーに決まってしまった。1930~1968年 まで実施されたへイズコード(映画製作配給業者業界の自主倫理規制)による、異人種間混交禁止法のため、主役のポール・ムーニーが白人なので妻役も白人女性でなければならなかった。皮肉にも白人同士がアジア人役を演じ、ウオンは脇役であった。この映画はアカデミー作品賞にノミネートされ、ルイーゼ・ライナーは出演女優賞を受賞した。彼女は中国系三世でアメリカ人であることを意識しながら「永遠の外国人(perpetual foreigner)」であること、人種差別の厳しさを思い知らされた。

映画Daughter of the Dragon(ドラゴンの娘)=1931年より

 その後の1年間、ウオンは中国で先祖の村などを訪問した経験をドキュメンタリー制作した。この時代には女性のドキュメンタリー作家は少なかった。アメリカの人種偏見から離れヨーロッパのキャバレーに出演し、広東語、英語、フランス語、ドイツ語、スウェーデン語、デンマーク語で歌った。この頃の経緯は、アメリカの黒人エンターテーナ、ジョセフィン・ベーカーを思い浮かばせる。1938年には中国からの移民を支援するため、映画の衣装をオークションに出した。この種のセレブのオークションは、最近では珍しいことではないが、彼女は大昔前にそのような活動をしていたのである。1960年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(名声の歩道)に彼女の星が埋め込まれた。翌年、中国系アメリカ人の家庭を舞台にしたロジャース&ハマースタイン二世のミュージカル映画『フラワー・ドラム・ソング』の出演が決まっていたが、肝硬変から心臓発作を起こし、急死した。

 アンナ・メイ・ウオンは、アジア系移民やアジア国籍の人に対する人種偏見が厳しい時代に、中国系アメリカ人、アジア系アメリカ人をアメリカ人全般に親しまれる存在にした人であった。彼女は自分のもう一つの文化、政治状況を意識し、発言し続けた。しかし、その一方で、ドラゴンレディ役しか与えられなかった。その彼女が25 セント硬貨に記念される女性の一人として選ばれた意図はわからないが、なぜ未だに東洋系女性のステレオタイプがはびこっているのかに疑問を持つようになってほしい。 (中)に続く

 

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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