連載929 防衛費増額だけでは日本は守れない。
なぜ、日本の防衛はここまでダメになったのか?(完)
(この記事の初出は2022年12月13日)
「自衛隊一択」(内需)だけでは維持できない
三菱重工の凋落でなにが起こっているかと言うと、日本政府(防衛省、自衛隊)による武器の発注、製造先の変更である。
つい先ごろ報道されたように、航空自衛隊の「F2」後継となる次期戦闘機の開発は、今後、英国、イタリアと共同開発することになった。これまでは、三菱重工の単独請負だったが、これに、英航空・防衛大手の「BAEシステムズ」とイタリアの防衛大手「レオナルド」の2社が参画することになったのである。
また、これもすでに報道されたが、陸上自衛隊の新型の装輪装甲車に、フィンランドのメーカー「パトリア」の「AMV」が選ばれた。防衛省は当初、三菱重工1社に開発を依頼・発注したが、その後、三菱重工業、カナダの「GDLS」、パトリアの3社を候補とし、選定試験の結果パトリアが選ばれたのである。
このように、三菱重工の凋落はあまりにもひどいが、お寒い状況は三菱重工だけとは限らない。この分野で大手とされる川崎重工、IHIも同様だ。防衛産業全体で言うと、受注数と利益率の低下により、この20年間で100社以上がこの分野から撤退している。たとえば、コマツは軽装甲機動車の生産から撤退し、住友重機も機関銃の生産から撤退した。これは、日本の軍事産業の販売先が「自衛隊一択」(内需)だけのうえ、日本経済が低迷を続けてきたからである。
ミサイル供与を懇願したウクライナを拒否
自国に武器開発と製造ができる軍事産業がない限り、本当の意味での国家と国民の安全は保てない。内需だけでは、軍事産業は育たず、技術もノウハウも失われてしまう。
日本の場合、武器の輸出をほぼ停止する「武器輸出三原則」が1967年以来維持されてきたが、安倍政権時代の2014年に「防衛装備移転三原則」へ改められ、ある程度、解禁された。
しかし、日本政府は、いまだに平和主義という建前に縛られ「二の足」を踏んでいる。今年は、ウクライナからミサイルの供与を求められたが応じなかった。
この件に関して、河野太郎は「今回も(防衛装備移転の実績をつくれる)チャンスを逃した」と悔しがったが、自民党内でのコンセンサスは得られなかった。
日本が躊躇している間に、武器輸出で実績を積んでいるのが韓国である。サムソンなどのメーカーが家電や半導体で世界市場を席巻した勢いに乗って、武器輸出を伸ばしてきた。韓国はいまや世界第8位の武器輸出国である。
もし、国防を本気で考えるなら、日本は防衛産業を立て直さなければならない。防衛産業と言っても、いまやデジタル時代だから、カバーすべき分野は全産業に及んでいる。軍事技術と民生技術の境目は消滅し、デジタル先端技術の開発こそが、安全保障のキーポイントだ。
伝統的な戦争観では平和はつくれない
国内の防衛産業を衰退させることは、最終的に自衛隊の装備、武器を海外に依存することになる。軍事技術が引っ張る最先端技術も育たなくなる。その意味で、岸田政権が国防費増強に走ったことは間違いではない。しかし、単にスタンドオフ・ミサイルを開発し、総花的な防衛戦略をとるなら、それはカネをドブに捨てることになるだろう。
ロシアのなりふり構わぬドローンによるオデーサ攻撃を見ても、いまや戦争の様相はどんどん変わっている。これに対応して、安全保障政策を変化させねばならない。また、軍事力だけにこだわっては墓穴を掘る。
もはや伝統的な戦争観では平和はつくれない。いまの時代は、あらゆる産業が安全保障や防衛と無関係ではなくなった。その意味で、総合的な安全保障を考えないと、日本は滅亡しかねない。
最後に、本当に人間とはゲンキンなもので、防衛費増強が伝わってからというもの、三菱重工 川崎重工、IHIなどの株価が軒並み上がっていることを述べて、この原稿を終わらせたい。
(つづく)
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※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。