連載931 日本は再びアメリカの「防波堤」に! 反撃能力確保、防衛費増強はなぜ決まったのか? (中)

連載931 日本は再びアメリカの「防波堤」に! 反撃能力確保、防衛費増強はなぜ決まったのか? (中)

(この記事の初出は2022年12月20日)

 

曖昧にしかできない「反撃能力」とその行使

 日本の防衛費増強、反撃能力の保持が、日本のためではなく、最終的にはアメリカのためであるのは明白である。アメリカは、自国の安全保障のために、中国、北朝鮮、そしてロシアの脅威を、東アジア限定で阻止しようとしている。グアム、ハワイまで後退して防衛ラインを引く気など毛頭ない。
 日本国憲法を、リベラル左翼陣営は「平和憲法」と呼ぶ。武力放棄をうたっているからだ。しかし、それは日本の平和のためではなく、アメリカの平和のためであり。日本国憲法はアメリカにとっての平和憲法なのである。
 これと同じ理屈で、今回の日本の反撃能力保持は、アメリカの防衛(平和)のためのものである。
 12月16日の会見の終わりのほうで、岸田首相は、「敵基地攻撃をいつどのように判断するのか?」と記者に突っ込まれた。政府の見解では、敵による日本への「攻撃の着手を確認できれば敵地を攻撃できる」としてきたが、いつの時点を「着手」と見なすのかを尋ねられたのである。
 これに対する岸田首相の答弁は、極めて曖昧だった。
 「(攻撃着手の見極めには)いろいろな学説があり、国によってもいろいろな扱いがある」とし、「日本は国際法をしっかり守ると申しあげているので、その範囲内で日本が対応できるような体制を具体的につくっていかなければならないと思う」と述べたのである。
 こんな抽象的発言では、誰も納得できない。要するに、どうやっても判断できないと言っているのに等しいからだ。軍事専門家に言わせると、少なくとも3個の衛星で北朝鮮を常時監視し、さらにスパイを送り込んで、ミサイルに関する情報を収集させる必要があるとのことだが、日本にはそんな能力はない。
 となると、判断はすべてアメリカ任せということになる。実際、12月18日の産経新聞は、「日米双方が打撃力を行使する際、友軍の誤爆や攻撃目標の重複を回避するため日米間の連携がより重要となる」とし、「米側からは米韓同盟と同様に、(日米)連合司令部の創設や指揮統制システムの統合を求める声もある」と報じた。

 

自衛隊はアメリカ軍の東アジア分隊か?

 もはや、今回の防衛費増強による反撃能力の確保の「絵図」が、アメリカによって描かれたのは、誰の目にも明らかだろう。日本は、安倍政権になってから、「軍拡路線」に舵を切った。「専守防衛」という非現実的な安全保障政策を転換した。
 これを左翼リベラル陣営が、「アメリカの属国化」「アメリカの戦争に巻き込まれる」と批判するのは勝手だ。しかし、実際に脅威が差し迫り、軍事バランスが崩れている以上、なんらかの手を打たねばならない。
 しかし、日本が選んだのは、結局は「日米同盟」により強く依存するという道だった。自衛隊はますますアメリカ軍の東アジア分隊として機能するほかなくなり、日本国民を守るという本来の目的を失いかねない。


(つづく)

この続きは1月27日(金)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。 

※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。

山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。

 

 

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