第4回 小西一禎の日米見聞録 多様な価値観と伝統的な価値観と
2019年6月末のニューヨーク、ユニオン・スクエア近くの5番街。鮮やかな6色で彩られた、大小数え切れないほどのレインボーフラッグを手にした人々が、満面の笑みを浮かべて、ストリートを練り歩く。沿道には、幾重もの観客が押し寄せ、レインボーフラッグを振りながら、大きな歓声を送る。解放された人々と、それらを支える人々。LGBTQ+の権利を啓発するプライド月間の最後を締めくくる、世界最大のプライドパレードを目にした時、地球上のあらゆる地域からの移民を受け入れ、多様な人種と価値観が融合し、その化学反応が街中に溢れるニューヨークのとてつもない底力をまざまざと思い知らされた。
日本では、岸田文雄首相の秘書官(当時)が2月3日、多様性を真っ向から否定する言葉を記者団に言い放ち、即更迭された。同性婚の法制化を巡り「社会の有り様が変わっていく問題だ」との首相答弁について問われ「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのも嫌だ。人権や価値観は尊重するが、認めたら、国を捨てる人が出てくる」などと口にした。翌日、首相は自らの任命責任を認めるとともに、「現内閣の考え方には全くそぐわない言語道断の発言だ」と言い切ってみせた。
永田町歴15年の政治記者として感じたもの
約15年間にわたり、永田町の第一線で政治記者として取材を繰り広げてきた立場として、報道に接した第一印象は「時代の変化に対する認識不足があまりにも甚だしい。仮に、思っていたとしても、堂々と口にすること自体が脇の甘さを示している」。各社の記者約10人が取材に臨んだ場は、録音・録画抜きで、被取材者の実名を報じないことを前提とした「オフレコ(オフ・ザ・レコード)」。日頃から接している記者を前に、いつものオフレコということもあって、気が緩んだのか否か知る由もないが、こうした人物が首相官邸の中枢にいて、政策決定の過程に深く関わっていたことに、薄ら寒いものを感じた。
2005年春から1年4カ月、小泉純一郎元首相の番記者を経験していた当時、上司にあたるキャップからは「小泉が何を考えているか、把握しているように」と命じられていた。担当していた首相秘書官には対面のみならず、電話やメールを含めて連日取材をかけ、首相の言動を巡る真意や今後の予定などについて子細に聞いていた。常に近くにいる秘書官は、まさに首相と一心同体。首相の見解を代弁し、背景の解説こそしたものの、首相の考えから大きく逸脱し、矩を踰えることはなく、あくまでも秘書官に徹していた。
では、今回の暴言は首相の見解から大きく逸脱していたのだろうか。それは、極めて疑わしい。各省庁が選りすぐりのエリートを送り込む首相補佐官に就任するような将来性ある官僚は、首相を擁護し、守り抜く立場にあれど、首相と異なる個人的な見解を漏らすようなことはまずない。忖度することはあっても、自らの身を危うくするような発言をするのは考えにくい。となれば、首相が日頃から周囲に漏らしている考えを説明したに過ぎないということになる。そもそも、質疑は同性婚を巡る首相の問題発言に端を発している。
米、LGBTQ+の「理解増進法案」に関心
日米関係筋によると、今回の発言に潜む政治的背景はもとより、超党派議連が21年にまとめたLGBTQ+の「理解増進法案」の行く末について、米国は注視し、大きな関心を寄せている。5月には、首相の地元・広島で先進7カ国首脳会議(G7サミット)が開かれ、世界が注目する中、首相は議長を務める。しかし、そのG7各国のうち、同性婚と夫婦別姓を法的に認めておらず、LGBTQ+に関する差別禁止法を定めていないのは、日本だけ。家父長制など伝統的価値観を有する自民党議員の反対・慎重論を制して、4月の統一地方選の後、サミット前の法案成立にこぎ着けられるかは、見通せないのが実情だ。
首相は、後日の国会答弁で「私自身もニューヨークで小学校時代、マイノリティーとして過ごした」と少年時代の昔話を持ち出しながら、釈明した上で「多様な個性を持った人が活力を持ち、それぞれの役割や能力を発揮することこそが、経済や社会を元気にする」とも述べた。クイーンズの公立小学校で過ごした3年間、マイノリティーとして何を感じ取ったのか。どのような辛い思いをしたのか。防衛費増額をまとめ上げ、1月の訪米時にバイデン大統領から高評価された「対米公約」同様、首相の本気度が問われる。
(了)
小西 一禎(こにし・かずよし)
ジャーナリスト。慶應義塾大卒後、共同通信社入社。2005年より本社政治部で首相官邸や自民党、外務省などを担当。17年、妻の米国赴任に伴い休職、妻・二児とともにニュージャージー州フォートリーに移住。在米中退社。21年帰国。米コロンビア大東アジア研究所客員研究員を歴任。駐在員の夫「駐夫」として、各メディアへの寄稿・取材歴多数。「世界に広がる駐夫・主夫友の会」代表。執筆分野は、キャリア形成やジェンダー、海外生活・育児、政治、メディア。著書に『猪木道――政治家・アントニオ猪木 未来に伝える闘魂の全真実』(河出書房新社)。