連載979 なぜ日本経済は復活できないのか? 最近のニュースが表だって指摘しない真実 (中)
“絵に描いた餅”の国産ミサイル開発
昨年末に発表された「防衛3文書」をふまえて、政府が開発を目指している日本独自のミサイルは、現在、陸上自衛隊が保持している「12式地対艦誘導弾」をベースに、これを改良していくというものだ。
このミサイルは、2012年度から調達が開始されたことから「ひと・に」と呼ばれ、敵の艦艇を攻撃するための地上発射型ミサイルである。その射程は200キロ弱。この射程を1000キロ以上にして、1000発以上保有するという。
これまでの報道によると、政府のミサイル整備計画は3段階にわたっている。第1段階では射程距離1250キロ以上のアメリカの巡航ミサイル「トマホーク」を500発購入する。第2段階では、「12式地対艦誘導弾」の射程を1000キロ以上に延ばし、2026年に実戦配備する。このミサイルは、潜水艦からも航空機からも発射できるようにする。
最後の第3段階は、2028年以降にマッハ5(音速の5倍、時速約6120キロ)以上の速度で飛びながら予測不可能な軌道を描く「極超音速ミサイル」を配備する。
このミサイル整備事業の総額は、5年間で5兆円という。
単に射程を伸ばせばいいものではない
しかし前記したように、この計画はどう見ても不可能だ。というより、日本にそんなミサイルをつくれる能力があるとは、とうてい思えない。
それがわかっている専門家は、「5年間かけて極超音速ミサイルまでつくるというのは無謀。同じ税金を使うなら、他国から最新のミサイルをもっと買ったほうがましです」と言う。
ミサイル開発は、北朝鮮を見ればわかるように、繰り返し発射実験を行い、失敗から学びながら完成させていくもの。「いまの日本のどこに、そんなことをやれる場所がありますか」と。
さらに「できたとしても、敵の防空妨害電磁波システムを突破する技術が必要です。精密な誘導技術もいる。単に遠くに飛ばす、射程を伸ばすだけではダメなんです」と。
彼は最後に駄目押しで、こう付け加えた。「つくるのは、あの三菱重工ですよ。完全に“絵に描いた餅”でしょう」
三菱ジェットはなぜ失敗に終わったのか?
三菱重工と言えば、つい先日、国産初の小型ジェット旅客機「スペースジェット」(SJ、旧MRJ)の開発の中止を発表した。この開発はすでに2年以上前に断念されており、発表は遅すぎたと言える。
この件に関しては、私も何度か取材して記事にしてきたので、開発が無残な失敗に終わった原因をよくわかっている。「ノウハウがなくて型式証明が取得できなかった」
「三菱重工1社でやろうとしたところに無理があった。オールジャパンでやればなんとかなった」など、いろいろ言われているが、それらは本当の原因ではない。
2月21日、西村康稔経済産業相は、記者からの質問に答えて、3つの原因を揚げた。
「安全性に関する規制当局の認証プロセスにおけるノウハウの不足」「エンジン等の主要な装備品を海外サプライヤーに依存することでの交渉力の低下」「市場の動向に関する見通しの不足」の3つだが、これも単に結果から見た表面的な原因に過ぎない。
そこでズバリ指摘しまえば、三菱重工(子会社の三菱航空機)には、技術も人材もノウハウもなにもなかったことだ。それなのに、できると思い込み、“化石頭”の経産省の役人に焚きつけられてやった結果がこれなのだ。
詳しく知りたい方は、日経ビジネス(オンライン)の連載シリーズ「『飛べないMRJ』から考える日本の航空産業史」(全10回)を読まれるといい。ここにほぼすべてが書いてある。
要するにクルマにしか生産したことがない人間が集まって、航空機を設計し、それを飛ばそうとした。零戦ができたのは、それ以前に何十もの航空機を設計・生産した蓄積があったからだ。三菱重工には看板だけで、なにもなかったのである。
日本は「ものづくり大国」と言うが、そんな看板はもう下ろすしかない。
(つづく)
この続きは4月11日(火)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。
※本コラムは山田順の同名メールマガジンから本人の了承を得て転載しています。
山田順
ジャーナリスト・作家
1952年、神奈川県横浜市生まれ。
立教大学文学部卒業後、1976年光文社入社。「女性自身」編集部、「カッパブックス」編集部を経て、2002年「光文社ペーパーバックス」を創刊し編集長を務める。2010年からフリーランス。現在、作家、ジャーナリストとして取材・執筆活動をしながら、紙書籍と電子書籍の双方をプロデュース中。主な著書に「TBSザ・検証」(1996)、「出版大崩壊」(2011)、「資産フライト」(2011)、「中国の夢は100年たっても実現しない」(2014)、「円安亡国」(2015)など。近著に「米中冷戦 中国必敗の結末」(2019)。