アートのパワー 第9回 正義の味方――Corky Lee (1947-2021) 二世 (上)

アートのパワー 第9回 正義の味方――Corky Lee (1947-2021) 二世 (上)

先月、『Dear Corky』という題名のドキュメンタリーのプレミアショーがICP (ロウアー・イースト ・サイドにある International Center of Photography)で上映された。コーキー、Young Kwok Lee(李揚國)は、アジア・太平洋諸国系米国人(AAPI)のコミュニティを50年間撮影し続けた写真家だった。彼のカメラは剣よりも強く、刀を振り回すように人種的不平等(racial injustice)や不当行為、偏見、ステレオタイプに斬り込んだ。「写真1枚ごとにアメリカを変えていく」活動(キャンペーン)を、生涯をかけた使命だと語っていた。観客は会場の椅子の数をはるかに超え、立ち見客にあふれ、後部中二階に登る階段に座ったり立ったりして15分の映像を待ち構えていた。2021年1月コロナで亡くなったコーキーが大勢の人々の心を揺り動かしていたことの証である。コロナに感染した時も彼の使命を実践していた。トランプ元大統領の言動、デマ、誤報、人種差別が原因となり深刻化するアジア系に対する暴力に対抗する“キャンペーン”として、「ガーディアン・エンジェル」のドキュメント写真を撮影していた。

コーキー・リー(Photo: Thomas Ong)

コーキーというあだ名は、若い時ユダヤ系の友人がKwok Leeを英語風に発音したもので、本人は自分のことを「Undisputed Unofficial Asian American Photographer Laureate」(誰もが認める非公式のアジア系アメリカ人桂冠写真家)と呼び、名刺にもそう書いていた。これは英語のundisputed official champion(誰もが認める公式チャンピオン)とpoet laureate(桂冠詩人) 又はNobel Prize Laureate(ノーベル賞受賞者)をもじった彼のユーモア、そして反骨精神を表している。 

クイーンズ生まれの中国系二世。台山(広東省南部)出身の両親の元、5人兄弟の長男で、父親は洗濯業、母親は縫製業を営んだ。父親は中国移民の人数が制限されていた当時、アメリカにいる別家族の息子を名乗り、偽造書類を提出することで入国したぺーパ・サン(paper son)で、 第二次世界大戦に服役した退役軍人だった。 

1960年代のアメリカは、冷戦、ロックンロール、ヴェトナム戦争、公民権運動で揺れ動いた時代である。5人兄弟のうち4人が徴兵年齢に達し、第二次世界大戦退役軍人である父親にとって息子たちが兵役に就くことは重要なことだったが、コーキーは良心的兵役拒否者(conscientious objector)となり、戦争に行く代わりにロウアー・イースト・サイドのヴィスタと云う社会福祉サービス(米国内支援平和部隊)でボランティアをした。その2年間、彼の仕事は生活困窮者の住宅支援(housing advocacy)で、中国人移民コミュニティに対する社会的・政治的不正を日常的に直接体験した。大学でアメリカ史を勉強したコーキーは、独学で写真を学び、目の当たりに体験したことを写真に撮るようになった。最初は友人から借りたカメラで写真を撮っていた(まだ若かった彼にとっては、カメラを買うより、デートにお金を使う方が大切だった、とコーキーの兄弟が回想している)。

1975年に初めて売れた写真は、警察から暴力を受けて頭から血を流す中国系アメリカ人の写真で、ニューヨーク・ポスト紙に掲載された。被写体となった男性は、ささいな交通違反で警察から暴行を受けていた十代の若者を助けようとして殴られたのだった。警察のこの不当な行為に抗議して2500人がシティホールでのデモに参加した。

Photo: Sumi Nakazato

コーキーの撮影スタイルは、1日に3~4ヵ所を駆け回り撮影し続けるというもので、長年ニューヨーク・タイムズ紙でファッション・コラムの撮影を続けながら、ニューヨークのストリート・スナップを撮影していたビル・カニンガムと同じ手法だった(2018年制作ドキュメンタリー『The Times of Bill Cunningham』)。二人とも、ストリート・フォトグラフィーと呼ばれる写真分野の第一人者といわれている。

この続きは4月19日(水)発行の本紙(メルマガ・アプリ・ウェブサイト)に掲載します。

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文/ 中里 スミ(なかざと・すみ)

アクセアサリー・アーティト。アメリカ生活50年、マンハッタン在住歴37年。東京生まれ、ウェストチェスター育ち。カーネギ・メロン大学美術部入学、英文学部卒業、ピッツバーグ大学大学院東洋学部。 業界を問わず同時通訳と翻訳。現代美術に強い関心をもつ。2012年ビーズ・アクセサリー・スタジオ、TOPPI(突飛)NYCを創立。人類とビーズの歴史は絵画よりも遥かに長い。素材、技術、文化、貿易等によって変化して来たビーズの表現の可能性に注目。ビーズ・アクセサリーの作品を独自の文法と語彙をもつ視覚的言語と思い制作している。

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